甲状腺がん 濾胞癌 乳頭癌 肺転移ステージⅡサバイバー 小西さんのがんに関するストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】小西麻子さん 甲状腺がん 濾胞癌 乳頭癌 肺転移ステージ2
- 第1話「妊娠中の副鼻腔炎」
- 第2話「甲状腺の腫れの意味」
- 第3話「母として、妊婦として、システムエンジニアとして」
- 第4話「出産間近で始められない治療」
- 第5話「3人の育児と多忙な日々と手術」
- 第6話「切除組織の病理検査結果と転移の可能性。」
- 第7話「甲状腺の全摘手術へ」
- 第8話「肺への転移と3回目の手術」
- 第9話「放射性ヨウ素内用療法。隔離された病室」
- 第10話「長く続いた治療から日常へ」
第6話「切除組織の病理検査結果と転移の可能性。」
妊娠中に右首に腫れが見つかった大阪府豊中市在住の小西麻子さん(36歳、2015年当時34歳)は、三女の出産のあと大阪大学医学部附属病院で腫れものを手術で取ることになった。
2015年1月23日、手術の日。
全身麻酔で4時間。病院にはご主人が来られた。
「出産よりも全然らくちんですよ」手術前に医師からそう説明を受けたオペ。
無事に終わり切除した組織について「こんだけ綺麗なら良性でしょう」そう言われたことも覚えている。
2月の初めに退院し、手術から1ヶ月以上も経った2月下旬。
切除した組織の病理検査結果を聞くために病院に行った。
「良性でした」と言われ安心するために行ったはずだった。
この日、外来の診察室に入ると何とも不思議な雰囲気が漂っていた。
そして担当医からこう言われる。
「取ったものの中にがん細胞がありました。早くとっちゃってよかったですね」
妙に淡々とした報告だった。
サイログロブリンの異常値のことも考えると転移があるかもしれないという。
だから今回の手術で甲状腺の半分を切除したが、「残り半分も取りましょう」、そういうことだった。
“甲状腺の全摘(ぜんてき)”
「どんどん話が大きくなっている…。おかしいなあ…」
納得できない一方で、やはりそうかと思う自分。
5年生存率が高い病気だから心配はしていないが、10年、20年と薬を服用し続けていく運命を言い渡された日だった。
そして全摘の手術が2ヶ月後の4月20日に予定された。
この日、帰宅して家族にがんのことを伝えた。担当医がしたように淡々と伝えた。
なっちゃったものは仕方がないし、面倒だけど甲状腺の薬を飲み続けていけば普通に生きていける。そんな風に心は整理されていった。
同じころ、三女の保育園入園が決まった。望んでいた最高の結果だ。
これで4月の手術入院中も母親の負担が少なく済むと安心した。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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