甲状腺がん 濾胞癌 乳頭癌 肺転移ステージⅡサバイバー 小西さんのがんに関するストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】小西麻子さん 甲状腺がん 濾胞癌 乳頭癌 肺転移ステージ2
- 第1話「妊娠中の副鼻腔炎」
- 第2話「甲状腺の腫れの意味」
- 第3話「母として、妊婦として、システムエンジニアとして」
- 第4話「出産間近で始められない治療」
- 第5話「3人の育児と多忙な日々と手術」
- 第6話「切除組織の病理検査結果と転移の可能性。」
- 第7話「甲状腺の全摘手術へ」
- 第8話「肺への転移と3回目の手術」
- 第9話「放射性ヨウ素内用療法。隔離された病室」
- 第10話「長く続いた治療から日常へ」
第4話「出産間近で始められない治療」
副鼻腔炎(ふくびくうえん)の治療中に右首の甲状腺の腫れが見つかり検査を受けていた大阪府豊中市在住の小西麻子さん(36歳、2014年当時33歳)は、腫れは「腫瘤(しゅりゅう)」と診断された。そして更に詳しく検査するために大阪大学医学部附属病院を紹介された。
2014年9月初旬の頃。
小西さんのお腹は一層大きくなり臨月に入っていた。
6月の副鼻腔炎から始まり検査だらけの2ヵ月半だった。
思い返すと出産のたびに大変なことが起きている。
長女を生んだ5年半前は出産後「敗血症(はいけつしょう)」になり40℃近い熱が出た。
次女の時は生まれてきた赤ちゃんに「黄だん」が現れ、抱きかかえる間もなくすぐに治療をしなくてはならなかった。
これまで普通に生んで普通に自宅に帰ることがなかった。
そして3人目の今回、右首が腫れている。
ご主人はあまり心配せず生まれてくる赤ちゃんを楽しみにしている。だからネットで病気情報の検索を続ける小西さんに「もうええやん」と心配しすぎないように言っていた。
そして9月5日、紹介された大阪大学医学部附属病院での診察の日。
箕面市立病院からもらってきた超音波検査結果のデータと血液検査の報告書を医師に見せるとこう言う。
「もうタイミングがタイミングだから、何もすることはないです」
つまり出産を間近に控えたいま、始められる治療はないということだった。
更にこうも言われた。
「うちに来たってことは、腫瘤を手術して取るってことで良いんですよね。予約取りましょか?」
手術で取る…「あっ、そうなんだ」と小西さんはようやく流れがわかった。
でも子供を産んだら首の腫れが小さくなるかもしれない。
臨月にも入っているし、確かに今は無事に赤ちゃんを産むことが一番だ。
そして9月29日、予定日を過ぎて3人目の元気な女の子が生まれた。
今回は、ふつうに生まれてふつうに自宅に帰れた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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