炎症性乳がん(浸潤性乳管がん)ステージ3B サバイバー 原田祐子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】原田祐子さん 炎症性乳がん ステージ3 サバイバー
- 第1話「左胸の張り」
- 第2話「炎症性乳がん?」
- 第3話「がん告知。転移。手術不能。」
- 第4話「抗がん剤治療の開始」
- 第5話「抗がん剤の副作用」
- 第6話「転院のための病院探し」
- 第7話「抗がん剤治療終了と小さくなった腫瘍」
- 第8話「最後の治療を終えて」
第1話「左胸の張り」
キーワードを入れて、インターネット検索を続けた。
出てきた病名は…、「炎症性乳がん」
嫌な病名が出てきて、心の中で不安が広がり始めた。
愛知県みよし市在住の原田祐子さん(51歳、2016年当時49歳)は、1993年、25歳の時に4歳違いの夫と結婚。
父親の友人から紹介され父が認めた人だった。
厳格な家庭に育った原田さんは、人生を共にする伴侶選びに父親の意見が大切だった。
結婚した年(1993年)10月、夫はそれまでの会社務めを辞めて、自動車部品の設計をする事業を立ち上げる。夫婦2人3脚での個人事業がスタートした。
トヨタ自動車が本社を置く愛知県。
原田さん夫婦のビジネスは順調に業績を伸ばし、従業員を雇うまでになっていく。
夫が社長、原田さんは経理と営業を担当する役員。
2人の子供(娘と息子)にも恵まれ幸せな家庭を築いていった。
事業を始めて23年、会社は100人以上の従業員を雇用する株式会社にまで発展。
原田さんは49歳になり、長女は大学2年生、長男は高校3年生と子育ては一段落していた。
そんな、ある日…、
お風呂上りに鏡を見ると左胸が大きくなっているのがわかる。
肌の色は同じだが、左だけ全体的に張っていて左右の大きさがアンバランスなのだ。
「最近、太って胸が大きくなったのかな?」
これまでも、生理が来る前に片方の胸だけが張ることがあったので、「もともと、生理前にはこうなっていたのかな?」そんな風に心を整理する。
だから、翌月の生理のタイミングまで様子をみようと思った。
ただ、このことを夫に話したら「病院で診てもらったら…」そう言っていた。
しかし、日が経つにつれて左胸だけ何となく固い感じがしてきて、色も赤みを帯びてきた。
そんなころ、2016年4月14日、熊本地震のニュースが飛び込む。
熊本には整骨院を営んでいる知人がいた。
2ヶ月に1回訪問して身体を診てもらうと同時に、相談にのってもらっていた。
その知人が被災した。
だから、力になりたいと思い熊本に支援に出かける。
忙しい時間が過ぎてゆき、左胸のことは後回しになっていた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
>>NPO法人5yearsの組織概要はこちら
-Sponsored-