乳がんステージ2(ルミナルA) サバイバー 阿部久美子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】阿部久美子さん 乳がんステージ2(ルミナルA) サバイバー
- 第1話「生命保険会社への転職」
- 第2話「乳がん検診と子宮がん検診」
- 第3話「本当に自分のやりたい仕事」
- 第4話「右の乳房の上にしこり」
- 第5話「良性か、悪性かは半々の確率」
- 第6話「メスを入れたくない」
- 第7話「民間療法を試す」
- 第8話「生検」
- 第9話「乳腺悪性腫瘍手術と乳房再建手術」
- 第10話「手術」
- 第11話「ホルモン療法と遊離皮弁術(乳房再建術)」
- 第12話「自宅療養と仕事の開始」
- 第13話「3回の『ゼロからスタート』」
第4話「右の乳房の上にしこり」
長年、生命保険会社のファイナンシャル・プラニング部門(FP部門)のトップアドバイザーとして活躍していた神奈川県大和市在住の阿部久美子さん(44歳、2012年当時39歳)は、不規則な生活と激務から健康を害していた。会社を休みがちになり、退職して独立することを考えだす。
阿部さんが中学1年生の時に、一家は秋田県から神奈川県に引っ越した。
心機一転、都会で仕事を頑張る決意をした父親に連れられて、家族で転居した。
母親は看護師だったので、神奈川県の病院でその仕事をし出す。
一生懸命に働く両親を見て育ったから、阿部さんも自然と仕事を頑張ってきた。
しかし、いま、限界を感じている。
休暇中に自分が担当しているお客さんたちと会い独立の相談をしていたら、こう言った人たちがいた。
「あなたの会社(が好きで取引をしているん)じゃないのよ。阿部さんだからなのよ」
その言葉が独立を悩んでいる彼女の背中を押した。
2013年6月30日、40歳になったのを機に会社を退職。
翌日の7月1日には独立のイベントを開催し、多くのお客さんに来てもらった。
翌月8月19日、生命保険の販売免許を再度取得すると、毎日のようにどんどん契約ができる。
仕事は順調に伸び、それに伴い、収入も増え生活が安定してくる。
前職の会社で体調を崩し休みがちになり、一時は細った収入も生活の心配をしなくてよいレベルにまで戻ってきた。
会社に所属していたときにあった(営業員にはっぱをかける)朝礼とか、やる意味が解らない仕事は減り、明らかに仕事の質が向上。
順調に2年間が過ぎ、2015年・秋には再び多忙な生活に戻っていた。
お客さんから依頼とか相談が来ると断ることのできない性格の阿部さんは、どんどん仕事を引き受ける。
疲れてはいたが、会社からやらされている仕事ではないので、精神的にはつらくない。
ただ…、
独立すると「会社の健康診断」と言うものがない。
いついつまでに健康診断を受けるようにと促してくれる上司とか人事部もない。
「いつか(検診に)行かなくちゃ」と思いつつ過ぎていく毎日。
それが、すごく不安だった。
だからこそ、健康に気を遣い、食生活を見直しウェイトマネジメントを心掛ける。
その甲斐があり大きな病気は全くなく身体も動く。体力にはとても自信があった。
充実しているけど忙しい毎日だった。
ただ、以前は、風呂に入るとたびたび石鹸を手に付けて胸を触診していたが、ある時から忙しさのあまりやらなくなっていた。
2015年11月26日、仕事から帰宅し、スーツから着替えようとして胸に触れたら右の乳房の上にパチンコ玉くらいの固いしこりがあった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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