乳がんステージ2(ルミナルA) サバイバー 阿部久美子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】阿部久美子さん 乳がんステージ2(ルミナルA) サバイバー
- 第1話「生命保険会社への転職」
- 第2話「乳がん検診と子宮がん検診」
- 第3話「本当に自分のやりたい仕事」
- 第4話「右の乳房の上にしこり」
- 第5話「良性か、悪性かは半々の確率」
- 第6話「メスを入れたくない」
- 第7話「民間療法を試す」
- 第8話「生検」
- 第9話「乳腺悪性腫瘍手術と乳房再建手術」
- 第10話「手術」
- 第11話「ホルモン療法と遊離皮弁術(乳房再建術)」
- 第12話「自宅療養と仕事の開始」
- 第13話「3回の『ゼロからスタート』」
第3話「本当に自分のやりたい仕事」
生命保険会社に転職しFP部門のコンサルタントになった神奈川県大和市在住の阿部久美子さん(44歳、2013年当時40歳)は、2009年から乳がん検診を受診していた。一方、激務の仕事がつづき、太陽の光をまぶしく感じるようになっていた。
長年、ファイナンシャル・プランナーのトップアドバイザーとして全力で走ってきたが、不規則な生活と睡眠不足から健康には気を使っていたが追いつかず、健康を害していた。
2012年・夏、横浜市の日本大通りにある心療内科クリニックを受診。
初診にもかかわらず知り合いのように話す男性医師からこう言われる。
「(仕事を)ちょっと休んだらどうかな?」
その助言に従い、溜まっていた有給休暇を使い休んだ。
阿部さんは、その休暇中に自分と向き合った。
「身を粉にしてまでやる仕事が、本当に自分のやりたい仕事なのか?FPコンサルタントの仕事は自分が元気な状態で初めてできるものじゃないのか?」
休み明けに会社の上司に相談したらこう言われた。
「他の人でもやれるような仕事は、(僕が)やるからさ」
何なら内勤のマネージャーの仕事をしてみたらどうかとも言われた。
優秀な営業員を取り敢えず引き留めるための提案だった。
だが、お客さん向けのコンサルティングをしない生活なんて阿部さんには考えられない。
生命保険の営業職員の世界は厳しい。
営業成績の振るわない人たちが定期的に去っていく。
早い人は入社して半年で退職することもある。
2006年に入社した同期23人は半年後に半分の人が辞めた。更に半年後にその半分が退職。
ノルマと競争の世界。
自社の保険商品を販売する仕事。
阿部さんは独立したファイナンシャル・プランナーになりたいと思いだす。
当時、会社の中でそういった職種を設けるかどうか検討していたので、ひそかに期待した。
2012年の夏から4ヵ月間は休みがちの生活になる。
たまに出社しても、しばらく会社には行きたくないと思うようになっていた。
ただ不思議とお客さんとは会っている。ランチを一緒にしたり、お茶をしたり。
そして、思い切って相談してみた。
「実はいま、会社を休んでいるんですが、独立するか会社に残るか迷っているんです」
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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