精巣腫瘍(ステージ不明) サバイバー 原健悟さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】原健悟さん 精巣腫瘍(ステージ不明) サバイバー
- 第1話「睾丸の腫れ」
- 第2話「泌尿器科へ」
- 第3話「精巣腫瘍と転移」
- 第4話「高位精巣摘除術」
- 第5話「BEP療法」
- 第6話「徐々に始まる副作用」
- 第7話「寛解。治療終了」
- 第8話「みんなが喜び、復職へ」
- 第9話「次の目標に向かって」
第8話「みんなが喜び、復職へ」
2016年に精巣腫瘍(睾丸がん)が発覚し、高位精巣摘除術を受けた後、抗がん剤治療(BEP療法)3クールをやり遂げた関西在住の原健悟さん(49歳、2016年当時47歳)は、新たな主治医から寛解を告げられた。
精巣腫瘍、寛解…。
2回目の手術として検討されていた後腹膜リンパ節廓清術は必要なくなった。
寛解と言う吉報に、だれもが喜んだ。
山口県の実家にいる父親は「良かったなぁ」と喜ぶ。
膵臓がんで余命半年ともいわれたが、すでにがんから1年以上を生きている父親。
妻もうれしそうだ。
看護師と医師から、おめでとうと一緒に祝福され、少し泣いている感じだった。
そして、この年のゴールデン・ウィークが終わり、5月11日に職場に顔を出した。
翌週の15日まで自宅療養に充てさせてもらい復職することになる。
職場のみんなも一様に喜んでいる。
ここまでの原さんは、最初の1ヶ月間、残っていた有給休暇を消化して治療期間に充てた。
しかし、入院を伴う抗がん剤治療が始まったため、3月からの2カ月半は欠勤扱いとしてもらった。
この間、収入は途絶えたが、健康保険組合から支給される傷病手当金とがん保険から降りた保険金・給付金が生活費となった。
経済的に何とか乗り切った3カ月半だった。
翌週…。
半日だけの勤務から始め、次の週からフルタイムで働きだす。
原さんの仕事は障害を持った人たちの作業をサポートする肉体労働なので、体力を要する仕事だ。
復帰したての頃は、体が追い付いてこなくて苦労する。
都度、上司と周囲の人たちに、いまの自分の体調について説明し、仕事量を調節してもらいながらこなしていった。
みんな理解してくれて、一方、変に患者扱いをせず普通に接してくれるのがありがたかった。
ただ、3カ月半も休んでいたため、仕事の感覚が鈍っていた。
しかし、年齢的にはスタッフの中で上であるため、リーダー的な役割を求められる立場。
経験豊富キャリア、期待される人材、それにもかかわらず気持ちと体がちぐはぐで追いついてこない。
たまたま、何気なく発した一言で利用者との関係が悪化し、周りのスタッフに迷惑をかける。
精神的に余裕をなくしていた。
ある種の負い目を感じながら、もがいていた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
>>NPO法人5yearsの組織概要はこちら
-Sponsored-