精巣腫瘍(ステージ不明) サバイバー 原健悟さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】原健悟さん 精巣腫瘍(ステージ不明) サバイバー
- 第1話「睾丸の腫れ」
- 第2話「泌尿器科へ」
- 第3話「精巣腫瘍と転移」
- 第4話「高位精巣摘除術」
- 第5話「BEP療法」
- 第6話「徐々に始まる副作用」
- 第7話「寛解。治療終了」
- 第8話「みんなが喜び、復職へ」
- 第9話「次の目標に向かって」
第7話「寛解。治療終了」
2016年1月、入浴中に右側の睾丸が左の1.5倍くらいに腫れていることに気付き、その後、市立病院を受診した関西在住の原健悟さん(49歳、2016年当時47歳)は、医師から精巣腫瘍(睾丸がん)を告げられ、1月29日に高位精巣摘除術を受けた。手術後、抗がん剤治療(BEP療法)が始まり、第2クールに入っていた。
原さんは、2人の子供たちに自分ががんであることを明かしてあった。
ただ、まだ、中学1年生と小学4年生だ。
がんという病気について、詳しくは知らない。
だから、抗がん剤治療が始まり父親の髪の毛が抜けていくのを見て驚いていた。
でも、これはお薬の副作用だからときちんと説明すれば解ってくれるだろうと思った。
2016年3月6日、病院から外出許可が出たので、その週も自宅に戻った。
この日、無性にハンバーグ定食を食べたくなり妻にリクエストして作ってもらう。
そして、食べようとした時、その匂いからウェ~っと吐いてしまう。
その光景を間近に見た上の子は、びっくりしていた。
自分でリクエストしておきながら、何とも情けなくて申し訳ない気持ちになった。
原さんは過酷な副作用と闘いながら1日1日を乗り越えていた。
3月24日、いよいよ第3クールが始まる。
この頃にもなると治療のペースがつかめてきて、積極的になっていた。
病棟の中を散歩したり、階段の上り下りをしたりして身体を動かす。
原さんは、大学時代、アイスホッケー部に所属しフォワードだった。
卒業後、静岡に赴任した時、地元の愛好会に入り、1998年に大阪に移ってからは“神戸ペンギンズ”というチームでアイスホッケーを楽しんできた。
だから、がんの治療を1日でも早くやり終え、趣味のアイスホッケーに復帰したい…、そんな想いで積極的に治療と向き合った。
抗がん剤治療の効果をみるCT画像検査の結果、腹部の腫瘍が縮小しているとわかり、勢いづく。
2016年4月14日、原さんは全3クールのBEP療法をやり遂げ退院。
だが、その同じ日…、熊本地震が起こる。
自分よりも若い命がたくさん奪われたのを知り衝撃を受け、生涯忘れられない日になる。
一方、病院の方は3月末で人事異動があり、主治医が別の医師に替わった。
新しく担当した医師はストレートな伝え方をする男性医師で、その彼から今後の方針を聞くことになる。
退院から5日後に撮影されたPET-CT検査の結果を4月20日に主治医から報告された。
すると…、
「(検査の結果、画像上)光らなかったので、もう大丈夫です。これ以上の治療はありません」
なんと、寛解を伝えられた。
ほっとすると同時に、心から「よかったぁ~」そんな気持ちになった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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