精巣腫瘍(ステージ不明) サバイバー 原健悟さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】原健悟さん 精巣腫瘍(ステージ不明) サバイバー
- 第1話「睾丸の腫れ」
- 第2話「泌尿器科へ」
- 第3話「精巣腫瘍と転移」
- 第4話「高位精巣摘除術」
- 第5話「BEP療法」
- 第6話「徐々に始まる副作用」
- 第7話「寛解。治療終了」
- 第8話「みんなが喜び、復職へ」
- 第9話「次の目標に向かって」
第4話「高位精巣摘除術」
2016年1月、箕面市立病院を受診した関西在住の原健悟さん(49歳、2016年当時47歳)は、医師から精巣腫瘍(睾丸がん)を告げられる。手術は4日後の1月29日と決まった。
初めて会った主治医。
専門用語だらけの説明。
主治医からの説明を聞くうちに「これは覚悟したほうが良さそうだな」と思う。
自分が、がんになってしまった…という重い事実。
しかし、医師が言った「根治を目指しましょう」という言葉に救われている。
「根治を目指せるのなら、治るようにがんばろう」
ストンと腹落ちし、前向きな気持ちとして自分の中で受け止められた。
この日、帰宅して妻にすべてを知らせた。
彼女は、「えっー」と言って絶句してしまった。
一方、母親には伏せることにした。
原さんの父親は、1年前の2015年・春に膵臓がんが発覚。医師から余命宣告を受けたほどだった。
それ以来、母親は精神的に参ってしまっている。
この上、息子までがんと解れば、さらに気落ちしかねない。
だから伏せることにした。
翌日、職場に出社して上司と施設長に伝えた。
二人ともびっくりした様子で、今後の対応のためにも診断書が欲しいと言っていた。
40代のがん…。
働き盛りのがん。
誰もが思いがけない人生の展開に驚き言葉を失う。
それからの2日間、原さんの心は、どんよりとした感じで時間が過ぎていった。
そして木曜日に入院、翌日1月29日に手術の日を迎える。
原さんが受けたオペは、腰椎に麻酔針を刺し下半身はマヒしているが本人は意識のある手術(高位精巣摘除術)だった。
心の中で「手術を無事に終わらせて、根治を目指すんだ」そう繰り返し、強い気持ちでオペに臨んだ。
がんになったことは不幸とはいえ、こんな経験は滅多にできないから、手術から、痛みから、すべて自分の身体に焼き付けておこう…、そんなことすら思った。
手術は1時間ほどで無事に終了。
病室に戻ってホッとすると、取り付けられている尿道カテーテルが痛かった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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