精巣腫瘍(ステージ不明) サバイバー 原健悟さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】原健悟さん 精巣腫瘍(ステージ不明) サバイバー
- 第1話「睾丸の腫れ」
- 第2話「泌尿器科へ」
- 第3話「精巣腫瘍と転移」
- 第4話「高位精巣摘除術」
- 第5話「BEP療法」
- 第6話「徐々に始まる副作用」
- 第7話「寛解。治療終了」
- 第8話「みんなが喜び、復職へ」
- 第9話「次の目標に向かって」
第1話「睾丸の腫れ」
「えっ?!封筒?」
妻が電話口で自宅に封筒が届いているよと教えてくれた。
がん治療後に受験した2017年の社会福祉士の国家試験。
封筒は合格を意味していた。
年が明けた2016年1月中旬のこと。
関西在住の原健悟さん(49歳、2016年当時47歳)は、自宅で風呂に入っていた時、左右の睾丸の大きさが違うことに気付いた。
右側が左の1.5倍くらいに大きく硬い感じがする。
正直、ぞっとした。
このとき「陰嚢水腫(いんのうすいしゅ)なのかな?」と思った。
障害者の入所支援施設で働いた経験もある原さんは、利用者の体調が悪いときに病院まで連れて行き、付き添うことも行ってきた。
13年くらい前のことだが、利用者が体調に異変を訴えたため、病院まで同行し泌尿器科での受診に付き合った。
彼は陰嚢水腫と診断された。
その時の記憶がよみがえり、もしかして自分も同じ病気じゃないかと思ったのだ。
これまで病気なんて滅多になったことのない原さんは、不安な気持ちだった。
ただ、この頃は、社会福祉士の国家試験に向けて勉強を頑張っていた。
あと1週間もすれば今年の受験日が来る。
だから、睾丸のことは気になるが、差し迫った試験を終えてから病院に行こうと決めた。
社会福祉士の資格。
思えば20年以上前の20代の時、通信教育を受けようとレポートを提出したが不合格だった。
それから時間が経ち、45歳の2013年に受験したが、点数が全然足りず不合格。
障害を持っている人たちの支援の仕事に資格のあるなしは関係ないと思うが、それでも職業人として一定の評価をしてもらえる国家資格。
2014年にも再び受験したが、今度は合格基準点まで、わずか1点が足りず不合格。
翌2015年も同様、不合格。
だから4回目の正直として、この年の受験に向けて勉強をしていた時だった。
妻を心配させたくなかったので、風呂で見つけた身体の異変のことは黙っていた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
>>NPO法人5yearsの組織概要はこちら
-Sponsored-