大腸がん(S状結腸がん)ステージ4サバイバー 中川さんのがんに関するストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】中川美和さん 大腸がん(S状結腸がん)ステージ4
- 第1話「なぜだか解らない毎日の疲れ」
- 第2話「これはがんです」
- 第3話「矛盾した2つの思い」
- 第4話「ICUと人工肛門(ストーマ)」
- 第5話「あわただしく過ぎていく毎日」
- 第6話「肝臓へのがん転移」
- 第7話「自宅療養から再度のがん転移」
- 第8話「幸せをかみしめる日々」
第4話「ICUと人工肛門(ストーマ)」
クリニックの内視鏡検査で大腸がんが見つかった中川美和(仮名57歳、2007年当時48歳)さんは大学病院に移った。手術は、がんが見つかった検査から24日後の9月20日と決まった。
いよいよ入院という頃、一番の気がかりは自分の入院中に一人になってしまう母親のことだった。
そして9月20日。
全身麻酔を受け腹腔鏡でS状結腸を外科的に切除する手術だ。
しかし全身麻酔だから手術中の記憶が全くない。
手術が無事に終わり安心したことを覚えている。
しかし、それから5日後、大変なことが起こる。
なんとなく朝からお腹に違和感があったので心配して母親と友人に病院に来てもらうようお願いした。それから三人で病室にいる間に、表現のしようがない激痛がお腹を走った。
「寒い」「暑い」が交互に自分の身体で起こり始め、ただ事でないことは自分でもわかった。
中川さんの様態の変化を知った医師たちは大急ぎでCTレントゲン検査を行い、腹膜炎が生じていると判断。
一方、そばにいた母親は目の前で大変なことが起きているのは解ったが、状況が理解できずでも医師に言われるままに書類にサインをした。
そしてすぐに緊急の開腹手術が行われることになった。
この日、見舞いに駆け付けた二人目の友人は、中川さんの姿がどこにもなく そしてそのあわただしい雰囲気から「きっと彼女は死んだ」そう思った。
みんなが大騒ぎだった。
やがて中川さんは一人、ICU(=集中治療室)で目が覚めた。
少し前の大騒ぎが嘘のように何とも静かな場所だった。
そばにいた母親の顔を見て「自分はまだ生きている」と思えた。
数日後、一般病棟に移ったとき自分のお腹をみて驚いた。
「何、これ!?」
よこ腹から内臓の一部が出ていて、ビニール袋で覆われている。
“人工肛門”だった。
自分の身体に人工肛門(ストーマ)が取り付けられた…。
あまりにものショックで、投げやりな気持ちになっていった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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