大腸がん(S状結腸がん)ステージ4サバイバー 中川さんのがんに関するストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】中川美和さん 大腸がん(S状結腸がん)ステージ4
- 第1話「なぜだか解らない毎日の疲れ」
- 第2話「これはがんです」
- 第3話「矛盾した2つの思い」
- 第4話「ICUと人工肛門(ストーマ)」
- 第5話「あわただしく過ぎていく毎日」
- 第6話「肝臓へのがん転移」
- 第7話「自宅療養から再度のがん転移」
- 第8話「幸せをかみしめる日々」
第3話「矛盾した2つの思い」
消化器専門のクリニックで初めての内視鏡検査を受け大腸がんが見つかった東京都目黒区の中川美和(仮名57歳、2007年当時48歳)さんは、クリニックの医師に大学病院への紹介状を書いてもらった。紹介先の医師は、母親の友人の息子だった。
大学病院に連絡すると先生は学会で出張していて予約は1週間後だと言う。
その1週間は、とてつもなく長い時間に感じられた。
「いまも、どんどん がんが進行して今週中に死んでしまうかもしれない…」
そんなふうに考え恐れていた。
翌週 予定通り初診が行われ、早速できる限りの手術前検査をしたものの担当する医師との面談は更に1週間後となる。
なかなか手術の日程が決まらないことに、抑えがたいいら立ちと不安が募る。
焦る気持ちを必死で抑え、まず友人たちに応援をお願いした。
年老いた病弱の母親と二人暮らしの中川さんは、自分の入院中に母親に毎日病院に来てもらうことは難しいと感じていたからだ。
友人たちは一様に驚いたが、サポートを約束してくれた。
こういう時、友達の本当のありがたさを感じる。
冷静に考えようとするが、この先 何がどうなるのか全くわからない。
そして思うことは、自分よりもいま独り身の母親の事だった。
「母(76歳)よりも自分(48歳)が先に死に母を一人にしてしまったらどうしよう」
そんな悲観的なことだった。
ただ一方で、手術して「がん」を切り取ってしまえば、すべては大丈夫になるのだろうという楽観的な自分もいた。矛盾した二つの思いで、心が揺れ動くつらい日々だった。
手術は9月20日と決まり、会社に自分が「がん」であることを伝えた。
仕事の引継ぎをしなくてはならないからだ。
非効率だが、ひとりひとり1対1で伝える。
全員の前で がんのことなんか話せるわけがない。
上司のフランス人に Colorectal Cancer(コロレクタル・キャンサー、大腸がん)だと伝えるとこう言われた。
「(自分の)好きなように治療し、その結果を教えてほしい。(会社のことは大丈夫だから)なによりも治療を優先してほしい」
その言葉にホッとしたのを覚えている。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
>>NPO法人5yearsの組織概要はこちら
-Sponsored-