大腸がん(S状結腸がん)ステージ4サバイバー 中川さんのがんに関するストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】中川美和さん 大腸がん(S状結腸がん)ステージ4
- 第1話「なぜだか解らない毎日の疲れ」
- 第2話「これはがんです」
- 第3話「矛盾した2つの思い」
- 第4話「ICUと人工肛門(ストーマ)」
- 第5話「あわただしく過ぎていく毎日」
- 第6話「肝臓へのがん転移」
- 第7話「自宅療養から再度のがん転移」
- 第8話「幸せをかみしめる日々」
第2話「これはがんです」
友人の勧めから、初めて大腸内視鏡検査を受けた東京都目黒区の中川美和(仮名57歳、2007年当時48歳)さんは、検査室のモニターに映し出された薄黒く腫れあがった自分の大腸の画像に衝撃を受けた。
しかし、内視鏡はそのまま何もせず さらに奥へと検査していく。
思わず医療機器を操っている医師に訊いた。
「えっ、先生これを切らないんですか?」
しかし、「あとでご説明します」と言われただけだった。
一連の検査が終わり待合室にいると、診察室に来るよう呼ばれた。
40代前半の若い医師は中川さんの顔を見てゆっくり話した。
「これは、がんです。手術して取りましょう。ここでは無理なので、手術できる病院を紹介します。どこがいいですか?」
そのとたん頭が真っ白になった。
何かの病気だとは想像していたが、まさか がんとは思いもしなかった。
どこの病院が良いかと訊かれても病院のことなんてよくわからない。
その時、一つの記憶がよみがえる。
「そうだ、確か、、お母さんの友達の息子さんが、大学病院の消化器外科医だと言っていた…」
それを伝えると、早速 紹介状を書いてくれるという。
「何か質問はありますか?」
そう聞くクリニックの医師の言葉に反応できない。
大腸がん…。
まったくわからないことには、質問もなにも出てこない。
こういうとき何を質問したらいいのか、わからないのだ。
中川さんは放心状態のまま病院を出た。
がんの告知を家族の同席もなく、ただ一人で聞いてしまった。
確か、そのあと駅前の喫茶店に入ったはずだが よく覚えていない。
がんと言われたが、それがどれほど大変なことか、ちゃんと理解できていなかった。
ようやく駅のホームまでたどり着き、年老いた母親に電話した。
「がん」だと伝えると、携帯電話の向こうから母の悲鳴が聞こえた。
しかし、美和さんは平静を装って「大丈夫だから、大丈夫だから」と何度も母親に言い聞かせた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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