【ストーリー】小林円香さん 悪性リンパ腫 ステージ1サバイバー

悪性リンパ腫 ステージ1A サバイバー 小林円香さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】小林円香さん 悪性リンパ腫 ステージ1サバイバー
  2. 第1話「左眼の充血と目やに」
  3. 第2話「左眼の下の頬あたりにしびれ」
  4. 第3話「腫瘍の可能性」
  5. 第4話「生検の手術」
  6. 第5話「悪性リンパ腫の可能性」
  7. 第6話「B細胞性リンパ腫の診断」
  8. 第7話「卵巣の凍結保存」
  9. 第8話「入院準備」
  10. 第9話「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」
  11. 第10話「封じ込めていた不安」
  12. 第11話「見えない未来ときつい副作用」
  13. 第12話「過呼吸症候群で苦しんだ毎日」
  14. 第13話「寛解・復職」
  15. 第14話「幸せな日常を取り戻して」

第4話「生検の手術」

2014年7月に眼の充血と目やにに悩まされていたが、9月に入り左眼の下のしびれを感じだし都内の大学病院でCT画像検査を受けた所、鼻の左側に影が映っていると言われた東京都在住の小林円香(まどか)さん(28歳、2014年当時25歳)は、MRIの検査を受けその結果を知らされることになっていた。

MRI画像検査から3日後の10月6日、都内の大学病院。
耳鼻科の外来待合室にいると名前を呼ばれた。
診察室に入り担当医から検査結果を聞く。
「血液検査の結果、好酸球の値が高かったです。そしてMRIの結果ですが、恐らく腫瘍です。詳しく調べるために次回、生検をしましょう」

腫瘍…、生検…。
すごく不安になった。
どんどん大ごとになっていく感じがする。
これまでの生活から大きく外れていくような気がしてきた。

小林さんは短大卒業後、自分の将来のキャリアについて見つめなおす時期があり専門学校に行った。
これまでは自分がやりたいことを何でもやらせてもらってきたが、今後のことを真剣に考えたいと思い学校の自治会長も経験した。
でも就職活動はなかなか上手くいかなかった。
それでも頑張っていたら今の保育園の栄養士として採用が決まった。

ここからが私のもう一つの人生と思い決意を新たにする。
「3年は絶対に辞めないし、やり遂げる」という強い意思が自分を頑張らせた。

一方の私生活では過剰なダイエットをがんばっていた。
年頃ということもあり、やせて綺麗になりたいという思いから朝食、夕食をとらず、ランチはカロリーゼロのゼリーという極端な生活。
ただその結果、日常的に便秘をしていることが気になってはいた。
そんなストイックな生活の毎日、休日の息抜きは同じアニメが趣味の友達と一緒に過ごすこと。
公私ともに充実して忙しかった。

それが今、腫瘍の疑いから生検が必要と言われている。
どんどん強い流れに流されている感じがする。

この頃よく鼻血が出た。
くしゃみをすると鼻血が出る。
涙道を通じて眼から鼻血が出る。
不安は広がるばかりだった。

そして10月8日生検のために入院、翌10月9日に朝一で生検の手術が行われた。
全身麻酔で鼻から内視鏡を入れて5cmある腫瘍の1/4を取る生検だった。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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