悪性リンパ腫 ステージ1A サバイバー 小林円香さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】小林円香さん 悪性リンパ腫 ステージ1サバイバー
- 第1話「左眼の充血と目やに」
- 第2話「左眼の下の頬あたりにしびれ」
- 第3話「腫瘍の可能性」
- 第4話「生検の手術」
- 第5話「悪性リンパ腫の可能性」
- 第6話「B細胞性リンパ腫の診断」
- 第7話「卵巣の凍結保存」
- 第8話「入院準備」
- 第9話「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」
- 第10話「封じ込めていた不安」
- 第11話「見えない未来ときつい副作用」
- 第12話「過呼吸症候群で苦しんだ毎日」
- 第13話「寛解・復職」
- 第14話「幸せな日常を取り戻して」
第10話「封じ込めていた不安」
2014年悪性リンパ腫(びまん性大細胞型B細胞リンパ腫)と診断され、治療前に卵巣を凍結するための手術を受けた東京都在住の小林円香(まどか)さん(28歳、2014年当時25歳)は、11月から抗がん剤治療(R-CHOP療法)を受けていた。
様々な副作用がでてきた。
吐き気、嘔吐、便秘、ホットフラッシュ、そして骨髄抑制、
ブログを通じて同じ悪性リンパ腫の患者たちとコミュニケーションをとれるのはありがたかった。
病院から外出許可が出ないためブログは自分を外の世界とつなぐメディアだった。
最初のころ、同じ病だと言うだけで安心し、その人が書く投稿に共感した。
しかし、時間が経つにつれそうでもなくなる。
25歳と若い小林さんは40代、50代の人とは同じではない。
また、結婚・出産を経て子供のいる患者を同じ悩みの人とは思えなくなった。
もちろん病と向き合い社会生活に戻ることを目標としているのは共通なのだが、「20代未婚」の自分は不妊リスクも含め境遇が違う。
「あなたはすでに結婚できているし子供がいるからいいじゃないですか…」
そんな風に感じながらその人のブログを読むこともあった。
そんな頃…。
俳優の高倉健さん(享年84歳、2014年11月10日)が悪性リンパ腫で他界したニュースを目にする。
正直、ハッとして恐ろしくなった。
「(私は)これまで現実から逃げていたのかもしれない…。やっぱり死ぬ病気なんだ…」
いままでは「不妊」への恐れが一番の関心事だった。
心のどこかに死への恐怖があったが、それを自分の中に封じ込めていた。
ニュースを聞いてからは考えないようにしていたその不安が封を開けたようになり恐くなった。
R-CHOP療法の第1クールは11月26日に終わりひとまず退院。
このときは自宅に帰れる嬉しさよりも、治療生活に対する暗い気持ちの方が強かった。
入院する前まではテンパっていた。
でも抗がん剤治療が始まりそれまで入っていた「力」が抜けた感じだった。
精神的にハイな状態が終わっていた。
この頃髪の毛が抜け始める。
手ぐしで、パラリ、パラリと力なく抜ける。
脱毛の前兆だった。
「なんで私がこんな目に合わなくちゃいけないんだろう…」
つらかった。
そんな小林さんの気持ちをよそに治療スケジュールは進んでいく。
12月2日、R-CHOPの第2クールの初日を外来で迎えた。
またきつい抗がん剤4種類が小林さんの身体の中に入っていった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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