大腸がん(下行結腸がん)ステージ2~3 サバイバー 岩井ますみさんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】岩井ますみさん 大腸がん(下行結腸がん)ステージ4サバイバー
- 第1話「毎年の健康診断」
- 第2話「検査報告書の便潜血・陽性+」
- 第3話「大腸内視鏡検査」
- 第4話「11月下旬の寒い夜」
- 第5話「大腸がんの確定診断」
- 第6話「毎週の検査と仕事への不安」
- 第7話「やりたい仕事を断るつらさ」
- 第8話「手術と退院後の仕事」
- 第9話「腫瘍マーカー。肝臓への転移」
- 第10話「抗がん剤(TS-1)治療」
- 第11話「手術~抗がん剤治療。強い副作用」
- 第12話「がんの告知から3年半」
- 第13話「これまでのキャリアと向き合って」
第7話「やりたい仕事を断るつらさ」
大腸内視鏡検査の結果、大腸がんを告げられ、紹介先の順天堂大学医学部附属浦安病院で手術前の一連の検査を受けていた千葉県市川市在住の岩井ますみさん(53歳、2008年当時44歳)は、予定されていた仕事を振り替えたり、キャンセルするつらい作業に追われていた。
大腸がん、治療、今後のこと…、これらを取引先に伝えるのは苦労した。
個別に仕事内容が違うし、日程・スケジュールの変更の柔軟性もそれぞれ違う。
更に先方の担当者との信頼関係も異なる。
伝え方とコミュニケーションは、まさに手探りで慎重に行った。
「健康が一番。いつでもいいから治ったらまた再開してください」と温かい言葉で言われることもあれば、「こちらの仕事はどうにかするから気にしないで」そう言われることもあった。
つまり代わりの人を探すからあなたはもういいですという意味だった。
ひどい時は「絶対に3月までに(講習の)クラスを終えなくちゃいけないんだから…、もし4月にずれ込んだら訴えますよ」などと冷たい言葉をかけられるときもあった。
一方で、新規の仕事の打診を断るのもつらかった。
「なんでうちの仕事を受けてもらえないんですか?理由を教えてください」
正直にがんだと伝えたら相手は驚くだろうと思い、予定がつかないと説明すると別の候補日を提示され、それも断るとつまりやる気がないのか…と誤解される。
本当はぜひともやりたい仕事なのに受けられない。しかも相手の人は気分を害してしまう。
これまで引き受けたい仕事を断るなんてなかった岩井さんにとって味わったことの無いつらさだった。
未来が見えない…。
どんどんしぼんでいくような感じ。
精神的にきつくなっていった。
一方、病院の検査は続いていた。
2009年1月8日に大腸3D-CT検査という血管に造影剤を入れ大腸に炭酸ガスを入れて撮影するきつい検査が行われた。
「なんで、こんなつらい思いをしなくちゃいけないのかな…」
それでも頑張り屋の岩井さんは毎日を乗り越えていった。
そして1月15日、予定通り入院。
これまでの検査結果をもとに手術の説明とリスクを知らされるインフォームドコンセント、大腸がん(下行結腸がん)進行ステージ2~3で大腸全体の1/3を切除すると言われた。
「ぜったいに治って仕事に復帰できる」そう信じていた。
次のページを読む >> 第8話「手術と退院後の仕事」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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