大腸がん(下行結腸がん)ステージ2~3 サバイバー 岩井ますみさんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】岩井ますみさん 大腸がん(下行結腸がん)ステージ4サバイバー
- 第1話「毎年の健康診断」
- 第2話「検査報告書の便潜血・陽性+」
- 第3話「大腸内視鏡検査」
- 第4話「11月下旬の寒い夜」
- 第5話「大腸がんの確定診断」
- 第6話「毎週の検査と仕事への不安」
- 第7話「やりたい仕事を断るつらさ」
- 第8話「手術と退院後の仕事」
- 第9話「腫瘍マーカー。肝臓への転移」
- 第10話「抗がん剤(TS-1)治療」
- 第11話「手術~抗がん剤治療。強い副作用」
- 第12話「がんの告知から3年半」
- 第13話「これまでのキャリアと向き合って」
第5話「大腸がんの確定診断」
2008年の健康診断でサンプル2つとも「便潜血・陽性+」と報告された為、大野中央病院で大腸内視鏡検査を受けた千葉県市川市在住の岩井ますみさん(53歳、2008年当時44歳)は、医師から手術が必要と言われる。
大腸内視鏡検査を終えた夜。ひとりで車を運転し帰宅した。
家に着くまでの間ハンドルを握りながら考えた。
どうやって両親に説明しよう…。
娘の帰りがあまりにも遅かったので父親も母親も心配していた。
その2人を前に岩井さんはこう言った。
「お願いだから冷静に聞いてね。私は何ともないから。ともかく落ち着いて聞いてね。どうも“がん”らしくてこれから入院と手術が必要なの」
それを聞いていた2人はとても困った顔をしていた。
岩井さんから言われた通り慌てたり、動揺してはいけないと思っているからだ。
そんな両親を目の前にして岩井さんは泣けてきた。
私はなんて悪いことを親にしているんだろう…。
そう思うと自然と涙がこぼれてきた。
その夜は忙しかった。なぜなら翌日、岩井さんに新しい軽自動車が届く予定だったからだ。
生活スタイルを変えるために身軽になろうと普通車から軽自動車に買い替えた。
それが届くのが検査の翌日だったので明日引き取られる今の車の掃除・片付けで夜じゅう追われていた。
私は何をやっているんだろう、こんな時に…、そんな思いだった。
一方、手術を受ける病院選びをしなくてはならない。
離れて住む二人の姉や信用できる友人たちに打ち明け、どの病院がいいか調べてもらうことにした。
みんなも「慌てちゃいけないんだ」と我慢している雰囲気がひしひしと伝わり申し訳なく思うと同時にありがたいと感じた。
そして1週間後。
再び大野中央病院を訪れた。
「生検で採取した組織を調べた結果、進行性の大腸がんです」
すべて一人で聞いた。
手術を受けたい病院は順天堂大学医学部附属浦安病院と希望を伝えるとさっそく紹介状を書いてくれて「しっかり診てもらってきてください」と副院長から送り出された。
わかってはいたが、大腸がんの確定診断がおりた日だった。
次のページを読む >> 第6話「毎週の検査と仕事への不安」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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