悪性縦隔腫瘍(胚細胞腫)、転移性脳腫瘍、放射線治療後の脳浮腫 ステージ4 サバイバー 金内大輔さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】金内大輔さん 悪性縦隔腫瘍、転移性脳腫瘍、他 ステージ4 サバイバー
- 第1話「止まらない咳」
- 第2話「命にかかわる病気」
- 第3話「悪性縦隔腫瘍(胚細胞腫)」
- 第4話「5クールのBEP療法」
- 第5話「外科手術と肺転移」
- 第6話「がん病棟で迎えた二十歳の誕生日」
- 第7話「脳転移」
- 第8話「ガンマナイフによる放射線治療」
- 第9話「再びの大学生活」
- 第10話「放射線治療の後遺症と病気差別」
- 第11話「思うようにいかない毎日」
- 第12話「繰り返して再挑戦」
- 第13話「1通の通知」
- 第14話「報われない努力はない」
第1話「止まらない咳」
「北海道職員の採用試験に合格したよ!」
この年、160名以上が応募し10名が合格した。その中に入っていた。
両親と妹が驚くのを見てようやく親孝行ができた…、そう感じた。
この話はもう25年以上も前の話になる。
1992年、弘前大学の1年生となった北海道余市郡在住の金内大輔さん(44歳、1992年当時19歳)は、夏休みに北海道小樽市の実家に帰省した。
大学に入って初めての夏休みで、久しぶりの実家は落ち着いた。
のんびりと過ごしていたが、8月に入るとどういう訳か咳がでだした。
コン、コン。
乾いた音のカラ咳で、この時は「夏風邪でも引いたのかな?」程度に思っていた。
たまに咳がでるくらいだから金内さんも両親も心配していない。
大学は9月1日から前期の試験が始まる。
だから8月の終わりに青森県弘前市の下宿に戻った。
ただこの頃は咳が毎日出ていて、ちょっと気になったが普通の風邪としか考えていない。
当時の弘前大学は教養課程の建物で試験を受けるのだが、この日のテストは4階の教室だった。階段を登っていたら息が切れる。
いつものように一気に4階まで登ることができないのだ。
呼吸を落ち着かせるために1階ずつ休んではまた登る。
その繰り返しで4階までたどり着いた。
「これは変だ…」
単なる夏風邪じゃないかもしれないと感じだす。
さっそく翌日、大学の近くにある国立弘前病院(当時)に行き診てもらった。
胸のレントゲンを撮り、画像を診た医師は、更に詳しくCT画像検査を行いたいという。
しかし、しばらくはCT検査機器の予約がいっぱいなので、1週間後に撮影することになった。
ことの次第を北海道の両親に電話で伝えると父親が言った。
「CT撮るのに、1週間も待つなんてできないだろう…。こっちに戻って小樽の病院で診てもらえ」
そう言われて急きょ帰省することになる。
咳は止まらない。金内さんはだんだん疲れてきていた。
次のページを読む >> 第2話「命にかかわる病気」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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