浸潤性乳管がん トリプルネガティブ 遺伝性乳がん(BRCA2異変)サバイバー 依田福恵さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】依田福恵さん 乳がん ステージ1 サバイバー(トリプルネガティブ)
- 第1話「乳がんの確定診断」
- 第2話「幼少から社会人になるまで」
- 第3話「母のがん」
- 第4話「交際相手のレントゲンに写る影」
- 第5話「交際相手のがん」
- 第6話「がんの転移」
- 第7話「唐突な知らせ」
- 第8話「全摘か部分摘出か」
- 第9話「始まったがん治療」
- 第10話「左胸の全摘と乳房の同時再建」
- 第11話「抗がん剤治療と復職」
- 第12話「色々なことが起こった2年を越えて」
第5話「交際相手のがん」
20年前に胆管がんで母親を失った東京都東村山市在住の依田福恵さん(54歳、2014年当時49歳)は、長年のお付き合いの孝之さん(仮名)と夫婦のような生活をしていた。その孝之さんの肺に影がみつかる。
年が明けて2014年1月。
孝之さんは一人で地元のがん専門病院に行った。
依田さんが平日に会社を休みにくい事情もあったが、彼は昔から病院に行くのは一人でと決めていた。
レントゲン検査、血液検査と一通りの検査を終えると担当の医師がこう言った。
「これは肺がんです。1cmくらいの影があるのですが、間質性肺炎も発症していて手術できないので、抗がん剤治療を始めましょう」
医師から受けた説明を彼から聞いているとそんなに楽観できる状況ではないのだが「がんばって治すからさ!心配しないで!」と言うので安堵した。
依田さん自身が楽天的で前向きな性格なので、この現実を悪いほうには考えていないし、この時点ではそれほどショックではなかった。
ただ「大丈夫」と思い込もうとしていたのも事実だった。
そして2月から孝之さんの抗がん剤治療が始まった。
依田さんにとって悩ましかったのは、孝之さんがかたくなに病院には来なくていいからと言っていたことだ。
病気と治療により元気でない自分の姿をみられたくないという思いが強い人だった。
また万が一にでも、依田さんと娘が病院で鉢合わせにならぬようにという気遣いもあった。
一方の依田さんは大丈夫だと信じているし娘さんと鉢合わせも良くないので病院に行かなくてもよいのであれば、それでよかった。
通院による抗がん剤治療を始めて3ヵ月経った2014年4月。
これまでの治療効果をみるためにCT画像検査が行われた。
「よかったよ!肺がんの影が半分まで小さくなっているっていうんだ。このまま頑張っていれば良くなるよ」それを本人から聞き安心した。
それからもいつも通りちょくちょく会っていたが、8月に不思議なことが起こる。
孝之さんが杖をついて現れた。脚に力が入らないと言い、よたよたしている。
「こんな状態で車を運転しているの?」と依田さんの心配が膨らんだ。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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