浸潤性乳管がん トリプルネガティブ 遺伝性乳がん(BRCA2異変)サバイバー 依田福恵さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】依田福恵さん 乳がん ステージ1 サバイバー(トリプルネガティブ)
- 第1話「乳がんの確定診断」
- 第2話「幼少から社会人になるまで」
- 第3話「母のがん」
- 第4話「交際相手のレントゲンに写る影」
- 第5話「交際相手のがん」
- 第6話「がんの転移」
- 第7話「唐突な知らせ」
- 第8話「全摘か部分摘出か」
- 第9話「始まったがん治療」
- 第10話「左胸の全摘と乳房の同時再建」
- 第11話「抗がん剤治療と復職」
- 第12話「色々なことが起こった2年を越えて」
第10話「左胸の全摘と乳房の同時再建」
長年、実の夫婦のように時間を過ごしてきた孝之さん(仮名)を肺がんで亡くし、間もなくして自分の乳がんの告知を受けた東京都東村山市在住の依田福恵さん(54歳、2014年当時49歳)は、2014年11月17日に手術のため入院した。
左胸の全摘と乳房の同時再建をする手術が始まった。
前半は乳腺外科の医師による執刀、後半は形成外科医によるオペ。
依田さんの下腹部にある組織を血管ごと切り取り胸に移植する。
手術は10時間以上もかかった。
それから3日間もベッドから起き上がることができなかった。
起き上がろうとすると貧血症状が出てしまうのだ。
胸も痛いが、組織を切り取った下腹部の方がもっと痛い。
こんなに大変な手術とは思ってもいなかった。
入院中はひとり。
パジャマとか下着は、病院内にあるコインランドリーで洗濯した。
「しっかりしなくちゃ」その想いが手術後の回復を支えた。
そして3週間ほど経った12月6日に退院。
退院とはいえ、身体のいたるところか痛んだ。
友人が運転する車で自宅に戻ると出てきた父親の雰囲気がおかしい。
話す言葉が変で、おでこにぶつかった傷がある。そして「頭の中で出血しているかもしれない」という。
よく聞くと前の日に自転車に乗っていて転倒し頭を打ったと言う。
依田さんが地元の救急病院に連絡すると、担当者が救急車を手配してくれた。
そして父親と一緒に乗り込み、東京都立川市にある国立病院機構 災害医療センターに向かった。
乳がんの手術を終え退院した日に、家族のために病院に舞い戻ることになったのだ。
依田さんは具合が悪くなり、待合室にある椅子で横になり身体を休めるほどだった。
父親はそのまま入院。
頭を打っているためいろいろな機能が低下していて、名前や自分の誕生日も言えない状態。
大変なことになった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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