乳がん(浸潤がん、硬がん)ステージ3c、卵巣がん(粘液性)ステージ1c3 サバイバー日暮さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】日暮弓美さん 乳がん ステージ3(浸潤がん、硬がん、)、卵巣がんステージ1(粘液性)
- 第1話「ダブルキャンサーのはじまり」
- 第2話「胸のくぼみの超音波検査と細胞診」
- 第3話「乳腺外科での診察とがんの告知」
- 第4話「検査の終了と臨床試験の勧め」
- 第5話「薬量を増やす臨床研究の開始」
- 第6話「腫瘍の一部消失。外科手術へ」
- 第7話「予防も兼ねた術後治療」
- 第8話「経過観察のたびに上がる腫瘍マーカー」
- 第9話「がん研有明病院の婦人科へ」
- 第10話「疑われる乳がんの卵巣転移」
- 第11話「術中迅速病理診断。原発の卵巣がん。」
- 第12話「受け入れがたい現実」
- 第13話「卵巣がん・リンパ節郭清の6時間にわたる手術」
- 第14話「ダブルキャンサーを乗り越えて」
第5話「薬量を増やす臨床研究の開始」
2007年10月左胸のくぼみを見つけ紹介先の埼玉医科大学国際医療センターを受診した埼玉県飯能市在住の日暮弓美さん(51歳、2007年当時42歳)は、がんを告げられた。そして年内に一通りの検査を終了し2008年1月より抗がん剤治療を予定されたが医師より薬量を増やす臨床研究を提案された。
前半は通常の量だが、後半に投与するタキソテールを規定量の140%にする臨床試験。
夫は心配し反対した。
しかし日暮さんは自分の治療だから積極的に受けたいと主張。
「受けられる治療はすべて受けたい。将来何かあった時に、あのとき臨床試験を受けていればよかったと後悔したくない」強い想いだった。
そして1月17日から始まった抗がん剤治療(CEF療法)。
第1日目に点滴で抗がん剤(シクロホスファミド、エピルビシン、フルオロウラシル)を入れ、残りの20日間を回復期に充てる3週間を1クールとするものだった。
髪の毛が抜けることが精神的に受け入れ難い日暮さん。
脱毛という副作用が怖く、つらく、頭痛がするくらい泣いた。
治療を開始して2週間後に髪の毛が抜けだしたがとても鏡を見られなかった。
日暮さんはこのCEF療法を合計4クールこなした。
4月に入り抗がん剤治療の効果を確認する検査が行われた。
しかし、乳房、鎖骨、わきの下にある腫瘍の影は、数も減らず小さくもならなかった。
この薬は効かなかった。
薬を「タキソテール(ドセタキセル)」に替え、その後は担当も乳腺外科から腫瘍内科の医師に替わった。
この治療もCEF療法と同じスケジュールで3週間を1クールとするものだった。
タキソテールが身体に入ると1週間後から血液中の白血球の数値が低下。
毎日のように白血球を増やす「ノイヤップ」を注射され臨床試験のスケジュール通りに休みなく3クールをこなしていった。
そして4クール目に入ろうとする頃、日暮さんの身体の左半分がむくみだす。
体調は悪くないし、検査結果も異常ではない。
だが明らかに左半分がむくんでいた。
このまま治療を続けるのは危険だとして腫瘍内科の医師が中止を提案する。
全4クールの治療をやり切りたい日暮さんは悔しくて仕方がない。続けてもらうための交渉が始まった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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