乳がん(浸潤がん、硬がん)ステージ3c、卵巣がん(粘液性)ステージ1c3 サバイバー日暮さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】日暮弓美さん 乳がん ステージ3(浸潤がん、硬がん、)、卵巣がんステージ1(粘液性)
- 第1話「ダブルキャンサーのはじまり」
- 第2話「胸のくぼみの超音波検査と細胞診」
- 第3話「乳腺外科での診察とがんの告知」
- 第4話「検査の終了と臨床試験の勧め」
- 第5話「薬量を増やす臨床研究の開始」
- 第6話「腫瘍の一部消失。外科手術へ」
- 第7話「予防も兼ねた術後治療」
- 第8話「経過観察のたびに上がる腫瘍マーカー」
- 第9話「がん研有明病院の婦人科へ」
- 第10話「疑われる乳がんの卵巣転移」
- 第11話「術中迅速病理診断。原発の卵巣がん。」
- 第12話「受け入れがたい現実」
- 第13話「卵巣がん・リンパ節郭清の6時間にわたる手術」
- 第14話「ダブルキャンサーを乗り越えて」
第13話「卵巣がん・リンパ節郭清の6時間にわたる手術」
2007年に乳がん、2015年に卵巣がんを発症した埼玉県飯能市在住の日暮弓美さん(51歳、2015年当時50歳)は、他の医師の協力もありダブルキャンサーという事実を受け入れられるようになった。2016年2月に卵巣がんの追加手術が予定されていた。
2016年2月22日 がん研有明病院で手術が行われた。
かれこれ3回目の手術となる。
心配するご主人が立ち会うなか6時間以上かかり70個以上のリンパ節を郭清した。
手術は無事に終わった。
今回はオペ後の体調が悪くしんどかった。熱が40度近くまで上がった日もある。
3週間経ち手術後の急性期を乗り越えた日暮さんは3月10日に退院。
その2日後にあった次女の高校卒業式に参列できたことが嬉しかった。
4月下旬。
予定通り抗がん剤治療(タキソール、カルボプラチン)が始まった。
初回は3泊4日の入院をして点滴で投与された。
3週間を1クールとする治療で、第2クールからは通院による抗がん剤治療にきり替わった。
卵巣がんの再発予防が主目的でこの年の8月終わりまで合計6クール行われた。
日暮さんは多くの試練を乗り越えてきた。
1つ目の乳がんだけでもきつかったのに、2つ目の卵巣がんまで治療し、自分の中で何かが変わった。
9年前の乳がんの時は心のどこかで世間の目を気にしていた。
普通に外出し友人とも会っていたが、がんを明かさず自分の心は引きこもったような状態だった。
どこか委縮しているような感じなのだ。
しかし、卵巣がんという2つ目のがんを発症したことで、開き直った。
「あした他界しても後悔しない生き方にしよう!」
そう強く思うようになった。
隠すことはない。
やりたいことを我慢せずやろう。そう心に決めた。
2016年6月 がん研有明病院で「乳がん患者さんのためのフェスティバル・ファッションショー」があった。
乳がん学会が主催したものでそのショーのモデルが公募された。
挑戦したい気持ちが出てきて応募したところ選ばれた。
自分には脱毛コンプレックスがある。
だから…と思って、そのファッションショーで観客の前を歩いていたとき、かぶっていた帽子を取ってスキンヘッドの演出をした。
脱毛で泣いてばかりだった昔の自分にピリオドを打ちたかったのだ。
会場がどよめき、同時に大きな拍手がわいた。
その勇気をたたえられた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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