乳がん(浸潤がん、硬がん)ステージ3c、卵巣がん(粘液性)ステージ1c3 サバイバー日暮さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】日暮弓美さん 乳がん ステージ3(浸潤がん、硬がん、)、卵巣がんステージ1(粘液性)
- 第1話「ダブルキャンサーのはじまり」
- 第2話「胸のくぼみの超音波検査と細胞診」
- 第3話「乳腺外科での診察とがんの告知」
- 第4話「検査の終了と臨床試験の勧め」
- 第5話「薬量を増やす臨床研究の開始」
- 第6話「腫瘍の一部消失。外科手術へ」
- 第7話「予防も兼ねた術後治療」
- 第8話「経過観察のたびに上がる腫瘍マーカー」
- 第9話「がん研有明病院の婦人科へ」
- 第10話「疑われる乳がんの卵巣転移」
- 第11話「術中迅速病理診断。原発の卵巣がん。」
- 第12話「受け入れがたい現実」
- 第13話「卵巣がん・リンパ節郭清の6時間にわたる手術」
- 第14話「ダブルキャンサーを乗り越えて」
第12話「受け入れがたい現実」
乳がん治療を乗り越え東京マラソンまで走った埼玉県飯能市在住の日暮弓美さん(51歳、2014年当時49歳)は、病理診断を兼ねた手術のあと卵巣がんを告げられる。てっきり乳がんの転移と信じていた為この診断結果を理解できず、今後の治療方針も受け入れられなかった。
乳がんだったはずなのに。なんで急に卵巣がんになるの?
とにかく2つ目のがんが嫌で受け入れられなかった。
何も考えられないし決められない日暮さんは1週間考えさせてほしいと絞り出すのが精一杯だった。
「わかりました。じゃあ、1週間考えてまた来週来てもらえますか」そう言われ診察室を後にした。
日暮さんは担当医を信頼していた。
しかし“2つ目のがん”という重い事実を理解できないし納得できていない。
「乳がんのマーカーが陽性で、卵巣がんのマーカーが陰性なのに、どうして原発の卵巣がんになるの?」
納得できる答えが欲しくて何人ものお医者さんにメールで問い合わせた。
心が整理されず前に進めない。そんなつらい時、ある医師からの返信メールに目が釘付けになる。
理路整然としていて因果関係がわかりやすく書かれていた。そして最後にこう締めくくられていた。
「追加の手術と抗がん剤治療を勧める日暮さんの担当医師の意見に賛成です」
読み終えたとたん涙がこぼれた。
「ありがたい。スッキリした。これでやっと前に踏み出せる」という前向きな気持ちと、「2つ目のがんだから、また1から治療を始めるのか…」というやるせない気持ち。
メールの内容を夫に伝えたら夫も感極まっていた。
2015年12月25日、クリスマス。
主治医と約束した1週間後の日で、自分の決断を伝える日だった。
名前を呼ばれ診察室に入ると先生がしっかりと見てくれていた。そして、
「(無理に)結論を先に言わなくてもいいですよ。そう決める気持ちになるまでのことを全部言ってもいいんですよ。しっかり聞きますから。言いたいこと先に全部言ってごらん」そう言われてグッときた。
その気遣いがありがたい。
すべての想いを吐き出した。
追加の手術日は2016年2月22日。くしくも1年前に東京マラソンを走った日だった。
1年前はマラソンを走ったのに1年後は手術かと思うと悔しい。でもこの病院ならコース上にあるから窓越しに今年の大会(2月26日予定)を眺められるから嬉しい。相反する気持ちが交錯した。
いよいよ2つ目のがん、卵巣がん(粘液性)の治療が始まろうとしている。
次のページを読む >> 第13話「卵巣がん・リンパ節郭清の6時間にわたる手術」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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