乳がん(浸潤がん、硬がん)ステージ3c、卵巣がん(粘液性)ステージ1c3 サバイバー日暮さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】日暮弓美さん 乳がん ステージ3(浸潤がん、硬がん、)、卵巣がんステージ1(粘液性)
- 第1話「ダブルキャンサーのはじまり」
- 第2話「胸のくぼみの超音波検査と細胞診」
- 第3話「乳腺外科での診察とがんの告知」
- 第4話「検査の終了と臨床試験の勧め」
- 第5話「薬量を増やす臨床研究の開始」
- 第6話「腫瘍の一部消失。外科手術へ」
- 第7話「予防も兼ねた術後治療」
- 第8話「経過観察のたびに上がる腫瘍マーカー」
- 第9話「がん研有明病院の婦人科へ」
- 第10話「疑われる乳がんの卵巣転移」
- 第11話「術中迅速病理診断。原発の卵巣がん。」
- 第12話「受け入れがたい現実」
- 第13話「卵巣がん・リンパ節郭清の6時間にわたる手術」
- 第14話「ダブルキャンサーを乗り越えて」
第9話「がん研有明病院の婦人科へ」
乳がん(ステージ3C)がみつかり、抗がん剤治療(CEF療法、タキソテール)、手術、放射線治療、更に抗がん剤治療(TS-1)、ホルモン療法を受けた埼玉県飯能市在住の日暮弓美さん(51歳、2014年当時49歳)は、すべての治療を終え大切な日常を取り戻していた。ランニングを行うようになり元気いっぱいなのだが、NCCST439が上昇してくる。
2014年暮れ NCCST439(基準値:7 U/ml以下)」)は「224」にまで上がっていた。
2月にある東京マラソンをどうしても走りたい日暮さんは、担当医が勧める検査を大会の後に遅らせる。
そしてやってきた東京マラソン(2月22日)、観客と3万5千人のランナーたちでにぎやかな東京を堪能するように6時間10分で走った。
少しでも長く走りたかったので、ゆっくりと時間を調整して走った。
乳がんから7年、ここまで元気になったことが嬉しかった。
大会を終えると医師の指示に従い一通りの検査を受けた。
しかし、特段目立つ悪い結果は出なかった。
その後も定期的に検査を受けていたが6月に造影剤を注射して調べたPET検査では、日暮さんの卵巣が赤く光って映っていた。
卵巣に疑いを持つ医師たちはMRIを含め様々な検査を行うが、悪性と断定することができない。
PETと腫瘍マーカーNCCST439の結果はよくないのだが他の検査では問題なしとなる。
担当医も難しい状況が続く。
日暮さんは、このころ色んな人に相談していた。皆それぞれにアドバイスしてくれるのだが、中でも強烈な助言をくれたのが乳がんの先輩患者たちだった。
日暮さん想いで、ありがたいお節介を焼いてくれる頼れる先輩たちだ。
「こういう時こそ、他の病院で診てもらうべきよ!」
「がん研有明病院で診てもらいなさい!!」
このことを乳腺外科の担当医に伝えると喜んで紹介状を書いてくれた。
2015年7月
日暮さんはがん研有明病院の婦人科にいた。待合室で呼ばれて診察室に入るとホッとした。
自分より年上の女性の医師だったからだ。
埼玉医科大学国際医療センターの乳腺外科の担当医は年下の男性医師だったから、ここでは年上の女性医師であることに安心した。
女医は以前に行った超音波検査の結果を見ると「良性ではないと思いますよ」
あっさりそう言った。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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