胃がん ステージ1b サバイバー 吉田さんのがんに関するストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】吉田洋一さん 胃がん ステージ1b
- 第1話「悪性腫瘍の告知と胃の全摘の可能性。」
- 第2話「しめつけられるような心臓の痛み」
- 第3話「胃潰瘍の痕と内視鏡検査」
- 第4話「病理検査の結果。がん告知」
- 第5話「治療のことで悩むなんてしたくない」
- 第6話「ひとつひとつ取り戻す生活へ」
- 第7話「小さなことの積み重ね」
- 第8話「過酷なレースへの挑戦」
第8話「過酷なレースへの挑戦」
会社の健康診断の結果再検査となりその後胃がんと診断された北海道江別市在住の吉田洋一さん(58歳、2009年当時50歳)は、2度の手術を受け退院する。退院後は体力と筋力を回復させるべくトレーニングを続けていた。
この1年間いろんなことがあった。
自覚症状がないにもかかわらず胃潰瘍(いかいよう)が治ったような痕があると言われ、2ヶ月間の検査の末、胃がんと伝えられた。
もうマラソンなんてできないかと思った。
それから手術、手術と続き体力が低下した。
今年こそ「富士登山競走」を完走したい。その思いでリハビリとトレーニングを積んできた。
胃が半分ないことの不自由さは感じる。しかしそれでもこの過酷なレースを完走したい。
そして迎えた2010年7月23日の富士登山競走大会。
積極的なレースをした吉田さんは4時間11分で見事に完走する。
2年越しの悲願を達成した。
それからはキャリアとして走り続けてきた「サロマ湖100kmウルトラマラソン」の2012年大会で新聞報道される。
スポーツ報知新聞の12面に「がん乗り越えウルトラマラソン」という見出しだった。
それを読んだ両親がとても喜ぶ。
親孝行ができた、そう感じた。
そして2014年の同大会では10回目の完走を果たし「サロマンブルーメンバー」と言われる鉄人の称号を得る。くしくも、がんから5年が経った年だった。
更に、胃が半分しかないというハンディキャップを負っているにもかかわらずフルマラソンでは病気前の自己記録を更新する快挙を成し遂げる。
2007年の「別海パイロットマラソン(3時間07分33秒)」が手術前の自己ベストだったが、2011年の同大会で「3時間04分04秒」で完走する。
実に3分以上も縮めたことになる。
今も元気に走り続けている吉田さんは3年後の還暦の時、またサロマ湖100kmウルトラマラソンを走るという。
幸せな日常を取り返し、人生を楽しんでいる。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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