肝臓がん ステージ3、悪性リンパ腫 サバイバー 石川廣司さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】石川廣司さん 肝臓がん、悪性リンパ腫 サバイバー
- 第1話「肝臓がんの疑い」
- 第2話「C型肝炎の治療」
- 第3話「肝臓がん ステージ3」
- 第4話「肝細胞癌切除術」
- 第5話「悪性リンパ腫。抗がん剤治療の開始」
- 第6話「肝臓がんの再発」
- 第7話「入院・ラジオ波焼灼術」
- 第8話「続く再発」
- 第9話「繰り返す治療」
- 第10話「禍福は糾える縄の如し」
第7話「入院・ラジオ波焼灼術」
60歳の時、検査で肝臓がんの疑いを告げられたが良性腫瘍とわかり、その後C型肝炎の治療に専念した東京都板橋区在住の石川廣司さん(71歳、2013年当時66歳)は、2010年、肝臓がん(ステージ3)を告げられ、12時間にわたる肝細胞癌切除術を受けた。その後、悪性リンパ腫(濾胞(ろほう)性 B細胞非ホジキンリンパ腫)を告げられ、抗がん剤(リツキサン)治療を終えた。しかし、2013年、肝臓がんを再発する。
“肝臓がんの再発”
2年前のあのつらい手術が脳裏によみがえる。
「また、あれをやるのか…。もう、あの手術だけは嫌だ」
心の中で全力で抵抗している。
妻も嫌がる夫に対しかける言葉が見つからない。
他の標準治療である“ラジオ波焼灼術”について逆提案してみたが、あくまで根治を目指す主治医は手術を勧める。
ラジオ波焼灼は、焼き残しがでるからやめた方がいいと言うのだ。
ここから石川さんは悩みに悩んでいく。
3年前に受けた肝細胞癌切除術は、石川さんにとって厳しかった。
いま66歳という年齢、手術後の体力など色々考えて、治療選択で悩み、その後、順天堂大学医学部付属病院練馬病院・消化器内科を訪れた。
ネットで調べると、同病院にラジオ波焼灼術のパイオニアの医師がいることがわかったからだ。
2013年3月、妻と待合室にいると名前が呼ばれ、診察室に入った。
50代半ばの優しそうな男性医師が担当だった。
これまでの経緯を説明し治療をお願いする。
医師は快く了解し、4月8日の入院が決まる。
そして、そのラジオ波焼灼術の日。
石川さんはベッドに横になると右側のわきの下に局部麻酔をされた。
股間に電極を設置され通電の準備を整える。
そして、右わきの下から長い針を刺され、肝臓のがん病巣の辺りまで貫通し、通電。
肝臓にあるがん病巣を狙い焼き付ける方法だ。
施術は20分ほどだったが、前処理からすべての処置に1時間ほどかかった。
肝臓がんではラジオ波焼灼術は標準治療の一つとして3割負担、これにより、取り敢えず治療を終えた。
それから1年、再び平穏な生活を取り戻す。
しかし、それは長くは続かなかった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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