肝臓がん ステージ3、悪性リンパ腫 サバイバー 石川廣司さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】石川廣司さん 肝臓がん、悪性リンパ腫 サバイバー
- 第1話「肝臓がんの疑い」
- 第2話「C型肝炎の治療」
- 第3話「肝臓がん ステージ3」
- 第4話「肝細胞癌切除術」
- 第5話「悪性リンパ腫。抗がん剤治療の開始」
- 第6話「肝臓がんの再発」
- 第7話「入院・ラジオ波焼灼術」
- 第8話「続く再発」
- 第9話「繰り返す治療」
- 第10話「禍福は糾える縄の如し」
第5話「悪性リンパ腫。抗がん剤治療の開始」
60歳の時、検査で肝臓がんの疑いを告げられたが良性腫瘍とわかり、その後C型肝炎の治療に専念した東京都板橋区在住の石川廣司さん(71歳、2010年当時64歳)は、2010年に肝臓がん(ステージ3)を告げられ、12時間にわたる肝細胞癌切除術を受けた。
長時間に及んだ肝臓がんの外科手術。
打ちのめされたように切り傷が痛く、石川さんは苦しんでいた。
ICU(集中治療室)に2日間いて、その後は病室に戻ったが、手術から6日目にして初めて歩いた。
「ここから、がんばっていくんだ」
弱り切った身体を動かし、リハビリをがんばる。
今は大変だけど、時間が経てば痛みは和らぐし改善するはず。
それを信じて今日一日を乗り越える。
座薬を入れて熱と痛みを緩和し続けて、手術から10日後の2010年12月30日、退院。
何とか年内にすべてを終えた。
年が明けて2011年1月中旬。
石川さんは妻と一緒に日本大学医学部附属板橋病院・血液内科を訪れる。
先月のオペで切除した組織の病理検査の結果を聞くために待合室にいた。
名前が呼ばれ診察室に入ると60代の男性医師が座っている。
血液内科の教授で、冷静に話す人だ。その医師がこう言う。
「生検の結果、悪性リンパ腫を発症していると解りました」
あまりの衝撃で、言葉を失った。
肝臓がん(ステージ3)は予後が厳しい。
その外科手術をようやくやり終え社会に戻りつつあるのに、ここにきて「悪性リンパ腫」の告知。
「神様は、ここまで過酷なことをするのか…。ひどいじゃないか…。肝臓がんだけでも生存率は低いのに、さらに血液のがんだなんて…」
呆然としている夫をみて、妻はどうしたらいいか解らない。
“B細胞非ホジキンリンパ腫。濾胞(ろほう)性”
2月から抗がん剤治療を始めると言われた。
全4クールを予定された抗がん剤(リツキサン)治療は、2011年2月9日に始まる。
第1クールは投与後の体調確認もあり、入院して行う。
初日、リツキサンの点滴が終了すると、39℃以上の熱が出て、悪寒でガタガタ震えた。
ナースコールのボタンまで手を伸ばすこともしんどい程きつい。
ようやく毛布をもらったが、このままどうにかなってしまうのではと思うほどだった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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