肝臓がん ステージ3、悪性リンパ腫 サバイバー 石川廣司さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】石川廣司さん 肝臓がん、悪性リンパ腫 サバイバー
- 第1話「肝臓がんの疑い」
- 第2話「C型肝炎の治療」
- 第3話「肝臓がん ステージ3」
- 第4話「肝細胞癌切除術」
- 第5話「悪性リンパ腫。抗がん剤治療の開始」
- 第6話「肝臓がんの再発」
- 第7話「入院・ラジオ波焼灼術」
- 第8話「続く再発」
- 第9話「繰り返す治療」
- 第10話「禍福は糾える縄の如し」
第4話「肝細胞癌切除術」
60歳の時、検査で肝臓がんの疑いを告げられたが良性腫瘍とわかり、その後C型肝炎の治療に専念した東京都板橋区在住の石川廣司さん(71歳、2010年当時64歳)は、2010年、肝臓がん(ステージ3)を告げられた。
石川さんが大学生だった頃は、学生運動、全共闘時代の真っただ中だった。
将来にあまり明るいものを感じられなかったと言う。
自由に生きたい…、そんな想いから出版関係の仕事に就く。
その後、独身生活が長くなり、このままでもいいかなと思っていた40歳の年、いつも夕食でお世話になっている飲食店が常連客限りの新年会を行うと言い、誘われた。
「行ってみるか」といつもの店に顔を出すと、その店でよく見かけた女性がいた。
同じ新宿区に住んでいてアパートも近い。
やがて自然とお付き合いが始まり1987年8月から、事実婚の生活になる。
そして、1年後に石川さんと彼女は入籍。
41歳で独身生活にピリオドを打ち、夫になった。
その年は結婚以外にも転機があった。
「MEDLINE(メドライン)」医学文献検索など医療情報を提供する会社AMSに転職する。
AMSとは、Advanced Medical Serviceの略で、医師自身が論文を書くときに必要となる海外の参考文献の検索サポートをするのが主たる業務内容であった。
この時代は、まだインターネットが普及しておらず、国内外の情報については、特化したサービス会社が提供している時代だった。
その後、2002年から2006年まで医薬品卸の会社に勤務して定年を迎えたが、そこから始まった肝臓がんの誤診、C型肝炎治療、そして、肝臓がんの告知。
石川さん夫婦二人三脚での闘病生活の始まりだった。
2010年12月20日、日本大学医学部附属板橋病院。
石川さんは肝細胞癌切除術を受けた。
12時間にも及ぶ長時間手術。
右側のわきの下をU字型に50cmメスで切り、肋骨を切り取り行われた。
この日、妻と2番目と4番目の兄が見舞いに駆けつけた。
男5人兄弟の仲で一番下の石川さんには、4人の兄がいた。
目が覚めると、ICU(集中治療室)にいた。
手術後の痛みはきびしく、麻酔薬を使っても痛くてたまらない。
主治医から「手術は成功しました」そう伝えられたが、身体の自由きかないし、ともかく痛くて、辛くて、どうしようもなかった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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