肝臓がん ステージ3、悪性リンパ腫 サバイバー 石川廣司さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】石川廣司さん 肝臓がん、悪性リンパ腫 サバイバー
- 第1話「肝臓がんの疑い」
- 第2話「C型肝炎の治療」
- 第3話「肝臓がん ステージ3」
- 第4話「肝細胞癌切除術」
- 第5話「悪性リンパ腫。抗がん剤治療の開始」
- 第6話「肝臓がんの再発」
- 第7話「入院・ラジオ波焼灼術」
- 第8話「続く再発」
- 第9話「繰り返す治療」
- 第10話「禍福は糾える縄の如し」
第1話「肝臓がんの疑い」
2年前、70歳の誕生日を迎えた。
肝臓がん(ステージ3)と悪性リンパ腫を8年間生き抜いている。
「こうなったら、行くところまでいくぞ」
立ち直りが早く、あまり落ち込まない性格の石川さんは、大切な毎日を生きている。
東京都板橋区在住の石川廣司さん(71歳)は、幼少のころから「(廣司は)そんなに身体が強くないから」と両親から言われて育った。
社会人になると慢性的な疲れを感じていたが、24歳の時に十二指腸潰瘍を患い、その後は定期的に病院で診てもらう。
ただ、お酒が好きで、誘われると必ず飲み会に参加する社交家だった。
1995年8月、48歳の時、かかりつけ病院の光ヶ丘医院を訪れ、毎月の血液検査を受けた。
すると…、「C型肝炎の疑い」と診断される。
紹介された大学病院を受診したが、C型肝炎には未だ有効な治療方法がない頃でお酒を減らすよう指導を受けて終わる。
それ以来「C型肝炎だから、いつか肝臓がんになるかもしれない」と心に引っかかっていた。
しかし、インターフェロンを打つ治療方法は副作用が強いと聞いていたため、「そんな治療、働いているうちはできないな」と半ばあきらめていた。
それから11年経った2006年。
石川さんは60歳定年の年を迎える。
「(サラリーマンとして)よくがんばったなあ」という万感の思いでこの年を迎えていた。
もう退職だから、そろそろC型肝炎の治療を本格的に始めようかと考えていた10月、日本大学医学部附属板橋病院・肝臓内科を訪れる。
名前を呼ばれ診察室に入ると30代の男性医師からエコー検査を受けるよう勧められた。
さっそく検査室に移り、暗室でその若い医師が操る検査を受けていると、こう言われる。
「あー、肝臓にがんがありますね」
衝撃的だった。
「肝臓がん」=「死」のイメージがあった石川さんは、来るべき時が来たような気持ちになる。
医師にどのくらいの可能性か尋ねると、9割がた違いないと返される。
真っ暗な気持ち。
確かタレントの鈴木ヒロミツ氏が肝臓がん(肝細胞がん)の告知後間もなくして他界した。
すぐにCT画像検査が予定されたが、石川さんは、このことを誰にも言えなかった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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