びまん性大細胞型B細胞悪性リンパ腫 ステージ2 サバイバー 野崎美穂さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】野崎美穂さん 悪性リンパ腫 ステージ2 サバイバー
- 第1話「ビジネスの場で活躍したくて」
- 第2話「精神疾患の兆候」
- 第3話「体調の変化」
- 第4話「左腕の異変」
- 第5話「リンパ腫の可能性」
- 第6話「胸の縦隔に腫瘍」
- 第7話「悪性リンパ腫の確定診断」
- 第8話「がんセンター中央病院・血液腫瘍科へ」
- 第9話「抗がん剤治療(R-CODOX-M/R-IVAC療法)」
- 第10話「抗がん剤の副作用」
- 第11話「続く抗がん剤治療」
- 第12話「治療終了。寛解~復職へ」
- 第13話「再び活躍の場へ」
第8話「がんセンター中央病院・血液腫瘍科へ」
2015年9月20日に内科クリニックを受診したところ、大きな病院で詳しい検査が必要として東京警察病院で生検を受けた東京都練馬区在住の野崎美穂さん(43歳、2015年当時40歳)は、10月13日に悪性リンパ腫の確定診断を受けた。
東京警察病院の女性医師は淡々と説明した。
“悪性リンパ腫の場合、化学療法がメインになる。たぶん、あーるちょっぷを行う。びまんせいというのが特徴的…”
何を言っているのか、ついて行けなかった。
“あーるちょっぷ?びまんせい、なんだろう”
後日、治療のできる最先端の病院を紹介すると言われた。
その上で「いやーよかったです。胸腺腫だったら、腫瘍が大きいから手術できないと思っていました。良かったです」
目の前で喜ぶ医師。
野崎さんは対照的で「一体、悪性リンパ腫の何がいいんだ?」沈んだ気持ちになった。
その一方で多少救われた気持ちになった。
これまで体調が悪くつらかったのは、自分が精神的に弱いからだと思っていた。
でも、病気だったんだ。
そうわかると救われる思いがした。
検査結果のことを母親に電話で伝えた。
すると…、「なんで…、何が悪かったんだろうね…」と泣き出す。
まるで、娘が小さい頃に食べていた自分の料理がいけなかったのか?と、母親は責任が自分にあるかのように嘆いていた。
親に泣かれ、悲しまれて、つらかった。
3日後、東京警察病院から連絡があり、築地にある「がんセンター中央病院・血液腫瘍科」の予約を10月22日に取れたと連絡があった。
すべて会社に報告すると悪性リンパ腫の事実に驚かれ、今後の検査、入院を了承された。
2015年10月22日、がんセンター中央病院・血液腫瘍科。
この日も夫と一緒に診察室に入った。
若い30代の男性医師でインテリのような風貌の人が座っていた。
渡してあったCT画像検査結果、血液データ、レントゲン写真をみて、縦隔原発の悪性リンパ腫に間違いないという。
その上で、ハッキリこう言った。
「みなさんは、誤解していますけど、リンパ腫は、もう治る病気になってきています!」
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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