びまん性大細胞型B細胞悪性リンパ腫 ステージ2 サバイバー 野崎美穂さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】野崎美穂さん 悪性リンパ腫 ステージ2 サバイバー
- 第1話「ビジネスの場で活躍したくて」
- 第2話「精神疾患の兆候」
- 第3話「体調の変化」
- 第4話「左腕の異変」
- 第5話「リンパ腫の可能性」
- 第6話「胸の縦隔に腫瘍」
- 第7話「悪性リンパ腫の確定診断」
- 第8話「がんセンター中央病院・血液腫瘍科へ」
- 第9話「抗がん剤治療(R-CODOX-M/R-IVAC療法)」
- 第10話「抗がん剤の副作用」
- 第11話「続く抗がん剤治療」
- 第12話「治療終了。寛解~復職へ」
- 第13話「再び活躍の場へ」
第6話「胸の縦隔に腫瘍」
2015年6月から食事が喉を通りにくい、階段を登ると息が切れる、左腕が異常なまでに腫れるなどの症状が出てきた東京都練馬区在住の野崎美穂さん(43歳、2015年当時40歳)は、9月20日に内科クリニックを受診した。医師は左首の腫れを確認し、リンパ腫の可能性を伝え大きな病院で診てもらうように促した。
シルバーウィーク明けの9月24日、中野区にある東京警察病院に行った。
まず、総合内科を受診したら若い男性医師が首の腫れを触診し、こう言う。
「僕の経験上、これはリンパ腫ではありません。むくんでいますが血栓じゃないかと思います。その場合、薬治療で、希望すれば通院でも出来ます。取り敢えずレントゲン撮影をしましょう」
このときホッとした。
“良かった、リンパ腫じゃない”
それからレントゲン室で撮影し、再び先ほどの内科医に呼ばれ診察室に入ると…。
「すみません。バッチリ腫瘍が写っちゃっています」
胸の縦隔に腫瘍があるという。
そして、腫瘍には良性と悪性があり、今の段階ではどちらか解らないと説明。
更に詳しい検査が必要として、CT画像検査と血液検査を受けるように言われた。
ここからは呼吸器内科に引き継がれるという。
腫瘍…。
病気になって入院し、会社を休みストレスから逃れたいと思っていたけれど、それは治る病気の前提だ。
まさか、死の可能性のある治りにくい病気なんて、まっぴら御免で、絶対になりたくない。
だんだん恐くなってきた。
「たぶん、悪性なんだろうな」そんなことを思う。
この日午後、呼吸器内科で名前が呼ばれ診察室に入ると、40代後半の小柄で眼鏡をかけた女性の医師が座っていた。そして、検査結果を診ると、
「これは、胸腺腫(きょうせんしゅ)だと思います」あっさり、病名を言われた。
胸腺腫の場合、ほとんどが悪性で腫瘍が大きな血管を巻き込んでいるので、まず行うのが放射線治療。
腫瘍が小さくなったら開胸手術をするという。
怖いことを淡々と話す。
野崎さんは「こんなに、あっさり、病気の告知をするんだ…」呆気にとられた。
そして、この病院には(当時)呼吸器外科がないので他の病院を紹介するという。
「がんセンターはどうですか?」
この時、初めて医師から「がん」という言葉を言われ、心にズシンと重くのしかかった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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