びまん性大細胞型B細胞悪性リンパ腫 ステージ2 サバイバー 野崎美穂さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】野崎美穂さん 悪性リンパ腫 ステージ2 サバイバー
- 第1話「ビジネスの場で活躍したくて」
- 第2話「精神疾患の兆候」
- 第3話「体調の変化」
- 第4話「左腕の異変」
- 第5話「リンパ腫の可能性」
- 第6話「胸の縦隔に腫瘍」
- 第7話「悪性リンパ腫の確定診断」
- 第8話「がんセンター中央病院・血液腫瘍科へ」
- 第9話「抗がん剤治療(R-CODOX-M/R-IVAC療法)」
- 第10話「抗がん剤の副作用」
- 第11話「続く抗がん剤治療」
- 第12話「治療終了。寛解~復職へ」
- 第13話「再び活躍の場へ」
第1話「ビジネスの場で活躍したくて」
「病名は、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫です。4ヶ月の入院になります」
医師からそう言われ、正直、嬉しかった。
4ヶ月も入院できるんだ…。
心の中で、ホッとした。
大学卒業後、ビジネスの場で活躍したいとしてお酒の一次卸大手の会社に就職した東京都練馬区在住の野崎美穂さん(43歳、2012年当時38歳)は、その頃まだこの会社では珍しい女性総合職だった。
入社時、同期58人のうち女性の総合職は2名。
最初の5年間は人事部、6年目から希望の営業職に異動。
会社の花形の部署だ。
この会社での営業職とは、ビール・酒造メーカーから商品を仕入れ、全国の大手スーパーやコンビニエンスストアに商品を提案、販売するという仕事。
とてもやりがいを感じた。
しかし、営業へ異動した当初は苦労する。
商品知識がない、毎日、お酒という重い荷物をもってのお客さん回り。
しかも、男性中心の酒類販売業界で、数少ない女性営業。
慣れないことばかりで疲れが溜まっていた。
だが、歯を食いしばって頑張っていたら、担当するお客さん企業との取引が増え実績として認められ始める。
そして、2012年、38歳の年齢で副課長に昇進。
会社の中で、女性管理職の営業としては2人目だった。
うれしい反面、「自分に務まるのか…」そんな不安もあった。
この頃の世の中は、女性がビジネスの場で活躍することを歓迎する風潮が出始めていた。
新聞・メディアなどで取り上げられていたのは女性管理職の登用。
会社のトップマネジメントの方針の一つに、女性管理職を増やすことがあった。
2015年6月、野崎さんは40歳で課長に昇進する。
ただ、この時「私には、ちょっと早すぎる」という思いがあった。
「まだまだ、しっかりと勉強しなくちゃいけないのに…」
戸惑いの中での抜擢だった。
次のページを読む >> 第2話「精神疾患の兆候」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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