乳がん ステージ2B(トリプルネガティブ) サバイバー 松下裕子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】松下裕子さん 乳がん ステージ2 サバイバー
- 第1話「体調の異変」
- 第2話「手術とその後の生活」
- 第3話「右胸のしこり」
- 第4話「乳がん ステージ2B トリプルネガティブ」
- 第5話「抗がん剤治療の開始」
- 第6話「抗がん剤(FEC)の副作用と効果」
- 第7話「抗がん剤(パクリタキセル)治療」
- 第8話「乳房温存型の部分摘出手術」
- 第9話「治療の終了とがん再発への不安」
- 第10話「明るい光のさすほうへ」
第8話「乳房温存型の部分摘出手術」
国際医療福祉大学熱海病院で乳がん(ステージ2B、トリプルネガティブ)と診断され、その後、抗がん剤(FEC)治療を4クール、次に抗がん剤(パクリタキセル)治療を12回受けた神奈川県足柄郡在住の松下裕子さん(50歳、2011年当時45歳)は、2011年6月に乳房温存型の部分摘出手術を受けることになった。
2011年6月3日、国際医療福祉大学熱海病院
2日前に入院し、準備に入っていた。
この日、夫と母親が来てくれて、2人は病院のラウンジで待機。
手術は午後1時から始まり3時間程かかったが、無事、夕方には終了した。
主治医の声掛けで目が覚めた。
「松下さーん、(手術)終わりましたよー。悪いところ、取っちゃったからねー」
この日手術中に迅速病理検査が行われたが、周辺に悪性腫瘍は見つからなかったという。
みんな、よかったと胸をなでおろした。
松下さんは、これまで献身的にサポートしてくれた医師たちのおかげだと心から感謝した。
翌日から、さっそくリハビリが始まった。
理学療法士の指導のもとビデオを観て、様々な動作をしてみる。
ぐーちょきぱーとか、腕の上げ下ろし。
切開した傷が痛くて、きつかったが、頑張って続けた。
そして、10日後の6月13日に退院。
今後は放射線治療となるが、国際医療福祉大学熱海病院にはその施設がないとして小田原市立病院を紹介される。
翌月、7月13日から放射線治療が始まった。
この治療は、放射線を照射する前に当てる場所にペンでしっかり印を書く。
そして、1ヶ所約1分間で、松下さんの場合、2ヵ所に照射するもの。
月曜日から金曜日まで5日間連続で5週間、合計25回行う。
2011年8月17日、夏の暑い日、最後の25回目が終了した。
松下さんは、この日、放射線科の医師に感謝の手紙を渡した。
すると普段あまり会話のなかった医師がこう言う。
「よくがんばりましたね。これで(=放射線治療で)再発率が、グンと下がりますから」
小田原市立病院での治療を終えた。
それから数日後…、
国際医療福祉大学熱海病院の主治医から「これで治療はすべて終わり。後は半年に一度の経過観察です。」そう言われた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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