乳がん ステージ2B(トリプルネガティブ) サバイバー 松下裕子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】松下裕子さん 乳がん ステージ2 サバイバー
- 第1話「体調の異変」
- 第2話「手術とその後の生活」
- 第3話「右胸のしこり」
- 第4話「乳がん ステージ2B トリプルネガティブ」
- 第5話「抗がん剤治療の開始」
- 第6話「抗がん剤(FEC)の副作用と効果」
- 第7話「抗がん剤(パクリタキセル)治療」
- 第8話「乳房温存型の部分摘出手術」
- 第9話「治療の終了とがん再発への不安」
- 第10話「明るい光のさすほうへ」
第7話「抗がん剤(パクリタキセル)治療」
国際医療福祉大学熱海病院を受診し乳がん(ステージ2B、トリプルネガティブ)を告げられた神奈川県足柄郡在住の松下裕子さん(50歳、2010年当時43歳)は、2010年11月から抗がん剤(FEC療法)治療を受けていた。
2010年11月から始まったFEC療法は順調に進み、第4クールが2011年2月25日に終了。
予定通り、次の抗がん剤(パクリタキセル)治療に移る。
これも入院ではなく、病院の外来に来て点滴室で3時間ほどかけて投与されるものだ。
毎週金曜日、合計12回、つまり12週間に及ぶ治療。
副作用としては味覚障害と手足のしびれ、そして全身に浮腫(むく)みが出た。
更に、どういう訳か、唾液が口の中に溜まり気持ち悪かった。
この頃の生活はというと…。
家の中で一日中、ゴロゴロしていた。
テレビを観たいが観ていると目がまわってしまい気持ち悪いので楽しむことができない。
ただ、子供のいない松下さんには、子犬の時から育てている愛犬「アンディ」がいた。
単調で心身つらい抗がん剤治療期間、アンディ君が松下さんの心を癒してくれる。
また、生命保険の保険金がおりたので、ピアノを買って弾いた。
17歳まで習っていたピアノに再び向かうと気晴らしになり、つらい副作用を忘れられた。
2012年3月25日、国際医療福祉大学熱海病院
治療効果をみるために針生検が行われた。
その結果、腫瘍を確認できなかったため、医師は、
「限りなく白に近いグレーです」と表現したほどだ。
髪の毛は無く身体中むくんでいて、いかにもがん患者と言う風貌だが、治療効果が現れていることで報われた。
2011年5月13日、最後の抗がん剤(パクリタキセル)投与が終了。
これを受けて、主治医との面談が行われた。
今後の治療について、母親、夫と一緒に3人で聞いた。
それは、手術を乳房の全摘にするのか、温存を目的とする部分摘出にするのかについての相談だった。
「全摘と温存では、5年生存率はあまり変わりありません。どちらにするか、ご家族で相談して決めてください」
3人は、その後話し合い温存型となる。
そして、手術は20日後の6月3日と決まった。
いよいよ、オペが始まる。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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