乳がん ステージ2B(トリプルネガティブ) サバイバー 松下裕子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】松下裕子さん 乳がん ステージ2 サバイバー
- 第1話「体調の異変」
- 第2話「手術とその後の生活」
- 第3話「右胸のしこり」
- 第4話「乳がん ステージ2B トリプルネガティブ」
- 第5話「抗がん剤治療の開始」
- 第6話「抗がん剤(FEC)の副作用と効果」
- 第7話「抗がん剤(パクリタキセル)治療」
- 第8話「乳房温存型の部分摘出手術」
- 第9話「治療の終了とがん再発への不安」
- 第10話「明るい光のさすほうへ」
第6話「抗がん剤(FEC)の副作用と効果」
2010年、国際医療福祉大学熱海病院を受診し乳がん(ステージ2B、トリプルネガティブ)を告げられた神奈川県足柄郡在住の松下裕子さん(50歳、2010年当時43歳)は、11月から抗がん剤(FEC療法)治療を受けていた。
抗がん剤(FEC)の副作用には悩まされた。
通院して、外来の点滴室で薬を投与され帰宅するのだが、家に帰ってから吐き気が始まった。
そして、味覚障害。
なんと、水が苦いのだ。
だるいし、食欲がわかないから夕食を作れない。
週に3日ほど、母親が手伝いに来てくれて夫と自分の食事の世話をしてくれた。
そして、脱毛。
第1クール目の後半から始まった。
朝、鏡で見た自分の髪の毛の量と、夕方鏡で見る自分の髪の毛の量が違うのだ。
当時、ボブヘアだったが、それがバサバサと落ちてゆく。
暫くすると、まるで落ち武者(おちむしゃ)のような頭になり、みじめで仕方がない。
夫に頼み風呂場で丸坊主にしてもらった。
抗がん剤治療は淡々と進み、第2クールはクリスマスイブの12月24日に終了。
「来年のクリスマスは、絶対に楽しく過ごすぞ」そんな気持ちだった。
ただ、嬉しかった。
第2クールの終了間際にエコー検査で右胸の腫瘍の大きさを確認した。
当初、直径3cmもあったものが、この時、約半分(1.8cm)にまで小さくなっていた。
「このまま、この治療を続けていきましょう」
早い段階で抗がん剤(FEC)の効果が出て松下さんも主治医も嬉しかった。
この頃、松下さんにはもう一つ、とても嬉しいことがあった。
幼少の頃から、自分に自信がなく、時には「こんな私、どんな存在価値があるんだろう…」そんなことすら思った時もある。
しかし、今、主治医と看護師、医療スタッフが全力で自分の命を助けようとしてくれている。
「私にも、何らかの存在価値があるんだ…、だから、命を助けてくれるんだ…」
そんな気持ちになり、とても幸せに感じる。
抗がん剤の副作用はきつかったが、効果が出ているし、何より、皆に助けてもらっていることを幸せに感じていた。
次のページを読む >> 第7話「抗がん剤(パクリタキセル)治療」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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