乳がん ステージ2B(トリプルネガティブ) サバイバー 松下裕子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】松下裕子さん 乳がん ステージ2 サバイバー
- 第1話「体調の異変」
- 第2話「手術とその後の生活」
- 第3話「右胸のしこり」
- 第4話「乳がん ステージ2B トリプルネガティブ」
- 第5話「抗がん剤治療の開始」
- 第6話「抗がん剤(FEC)の副作用と効果」
- 第7話「抗がん剤(パクリタキセル)治療」
- 第8話「乳房温存型の部分摘出手術」
- 第9話「治療の終了とがん再発への不安」
- 第10話「明るい光のさすほうへ」
第5話「抗がん剤治療の開始」
2010年10月、国際医療福祉大学熱海病院を受診し乳がんを告げられた神奈川県足柄郡在住の松下裕子さん(50歳、2010年当時43歳)は、生検の結果をもとに抗がん剤治療から始めることになった。
今後の治療方針が決まったので、スーパーの店長に報告しておいた。
このスーパーでは不思議な習慣があり、毎週、朝礼の時にそれぞれが「1分間スピーチ」をする。
テーマは何でもいい。
松下さんは翌週の朝礼の1分間スピーチを使い、乳がんの事実を伝えた。
すると…、数日後、店長に呼び出されて、叱られる。
「このまえのスピーチで、抗がん剤治療受けるけど、がんばって働くって言ったんだってね。それって、かつらかぶって働くってこと?それ、どう思ってんの?抗がん剤で体力が落ちて、今までと同じ仕事が出来ないと、他の人が穴埋めしなくちゃいけなくて、迷惑だって言ってるのがいるんだけど。不愉快だって言ってるパートもいるし」
信じがたい言葉だった。
「私に辞めろって言ってんですか?!」
涙を浮かべてそうせまると、店長は、平然とした顔で返す。
「やめろなんて言っていないよ。治療に専念してほしいんだ。つまり、治療受けてるんなら、仕事してほしくないんだ」
ショックだった。ここまで冷たくされるものかと、信じられない思いだった。
がんの告知以上にショックだった。
仕事が大好きな松下さんはこの瞬間から社会と切り離されたような孤独感を感じる。
この日、一緒にあいさつに来ていて、でも、店長の前で何も言い返さない夫にも失望した。
後日、労働局に行き年配の男性職員に相談したが、それがその後大きくプラスになった。
一方、抗がん剤治療はというと、12月3日から通院でのFEC療法が始まった。
3週間に1回病院の外来で抗がん剤の点滴を受けて帰宅する。
まず、第1週目の金曜日に抗がん剤を投与、2週目は何もせず、第3周目の金曜に白血球数を上げる皮下注射「グラン」を受けて、問題なければ、次の週の金曜日に、新たなクールの抗がん剤の点滴。
これを合計4クール行うものだった。
第1クールに抗がん剤を投与した後、なんと、患部の右胸のあたりが、チリチリする。
「あっ!これは、効いているに違いない」治療に期待した。
次のページを読む >> 第6話「抗がん剤(FEC)の副作用と効果」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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