乳がん ステージ2B(トリプルネガティブ) サバイバー 松下裕子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】松下裕子さん 乳がん ステージ2 サバイバー
- 第1話「体調の異変」
- 第2話「手術とその後の生活」
- 第3話「右胸のしこり」
- 第4話「乳がん ステージ2B トリプルネガティブ」
- 第5話「抗がん剤治療の開始」
- 第6話「抗がん剤(FEC)の副作用と効果」
- 第7話「抗がん剤(パクリタキセル)治療」
- 第8話「乳房温存型の部分摘出手術」
- 第9話「治療の終了とがん再発への不安」
- 第10話「明るい光のさすほうへ」
第2話「手術とその後の生活」
2008年、だるい・しんどい毎日を送っていた神奈川県足柄郡在住の松下裕子さん(50歳、2008年当時41歳)は、持病の子宮筋腫のほか、子宮内膜症、子宮腺筋症がみつかり、子宮の全摘が必要と伝えられた。
夫に「(子供を産めないから、申し訳ないので)離婚してほしい」と伝えると、「冗談じゃない、そんなことを考えるなんて…」と反対される。
このとき、夫の愛情をうれしいと感じるよりも、むしろ、夫と夫の家族に対し申し訳なく感じた。
一層、罪悪感を感じる。
2008年11月26日、聖マリアンナ医科大学。
松下さんは子宮を全摘する手術を受けた。
これが、人生の大きな転機となった。
手術を受けてからの2年間、松下さんは体調がすこぶる良くなる。
それまであった、つらく痛い生理痛がなくなったからだ。
子宮を失ったことによる喪失感というよりも定期的なあった悩ましい痛みがなくなり、生活が楽しいから喜びの方が大きかった。
身体を動かせることを幸せと感じたし、逆に今まで痛みが心をむしばんでいたと解ったほどだ。
毎日、快適で笑顔が増えていった。
2010年9月、松下さんは会社の従業員が行う毎年の健康診断を受けた。
もう10年以上受診していて、何も問題ないとされていた。
検査から4週間後、事務所の女性事務員に検査結果を渡され、今年も問題なしで終わっていた。
ただ、基本的な検査項目だけで、女性がんを調べる検査はなかった。
それから1ヵ月が過ぎた10月終盤。
午前の仕事をしていたとき、何となく右の胸の上あたりが虫に刺されたようにかゆい。
皮膚の表面ではなく、内部でうずくようなかゆみだった。
そして、制服の上から触れてみると…、3cmくらいのゴリッとしたものに触れる。
軟らかくもあり、固くもあり、グミみたいな感じだ。
なんだろう…。
3週間前に、仕事中につんのめって倒れたが、その時の打ち身でできたのかなと思った。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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