乳がん ステージ2B(トリプルネガティブ) サバイバー 松下裕子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】松下裕子さん 乳がん ステージ2 サバイバー
- 第1話「体調の異変」
- 第2話「手術とその後の生活」
- 第3話「右胸のしこり」
- 第4話「乳がん ステージ2B トリプルネガティブ」
- 第5話「抗がん剤治療の開始」
- 第6話「抗がん剤(FEC)の副作用と効果」
- 第7話「抗がん剤(パクリタキセル)治療」
- 第8話「乳房温存型の部分摘出手術」
- 第9話「治療の終了とがん再発への不安」
- 第10話「明るい光のさすほうへ」
第9話「治療の終了とがん再発への不安」
国際医療福祉大学熱海病院で乳がん(ステージ2B、トリプルネガティブ)と診断され、その後、抗がん剤(FEC)治療を4クール、次に抗がん剤(パクリタキセル)治療を12クール、そして乳房温存型の部分摘出手術を受けた神奈川県足柄郡在住の松下裕子さん(50歳、2011年当時45歳)は、放射線治療を小田原市立病院で受け、経過観察となった。
がん治療の終了。
普通だったか、こんな嬉しいことはない。
だが、松下さんも、がん治療後の不安に苦しむ。
これまでは、抗がん剤治療、手術、放射線治療とがんばってきた。
痛みとつらさに耐えている時は病気と闘っている感じがして、ある意味「楽」だった。
しかし、いま治療を終えて、体調が不十分なとき、考えることは「がん再発」のこと。
まるで「なにも(治療を)していない」ことが、再発を待っているかのように感じられる。
身体の状態は徐々に良くなってくるが、反対に心の状態は悪化していく。
不安から、抗不安薬・睡眠導入剤「デパス」「リスミー」を服用する機会が増える。
それを見かねたと夫が、アドバイスしてくれた。
「そんな暗い顔をしているんじゃなくて、いまの不安な気持ちとか怖さを原稿用紙にぶつけてみなよ」
自分のがん闘病をふり返り文章を書いてみたらいいと言われた。
それからの松下さんは書きに書き上げ、その文章は100ページにも及ぶ。
こうなると自分の文章をプロの人が見たらどう思われるのか知りたくなった。
2012年1月、文芸社に連絡して原稿をみてもらうことになる。
それを読んだ担当者は「もっと詳しく書いて、ぜひ、書き進めてください」そう言った。
それがどういう事を意味するのか解らないが、ともかく嬉しい。
夢中になった松下さんは3月中にすべてを書き上げ、提出。
出版社からの返事を待った。
そして4月、文芸社から連絡が来る。
「審査した結果、全国流通本として出版させて頂きたいです」
自費出版ではあるが、書店に置いてもらえる本として、世に出せることになった。
次のページを読む >> 第10話「明るい光のさすほうへ」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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