乳がんステージ2(ルミナルA) サバイバー 阿部久美子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】阿部久美子さん 乳がんステージ2(ルミナルA) サバイバー
- 第1話「生命保険会社への転職」
- 第2話「乳がん検診と子宮がん検診」
- 第3話「本当に自分のやりたい仕事」
- 第4話「右の乳房の上にしこり」
- 第5話「良性か、悪性かは半々の確率」
- 第6話「メスを入れたくない」
- 第7話「民間療法を試す」
- 第8話「生検」
- 第9話「乳腺悪性腫瘍手術と乳房再建手術」
- 第10話「手術」
- 第11話「ホルモン療法と遊離皮弁術(乳房再建術)」
- 第12話「自宅療養と仕事の開始」
- 第13話「3回の『ゼロからスタート』」
第8話「生検」
2015年11月、右胸にパチンコ玉くらいのしこりを見つけ、その後、横浜労災病院で検査を受けた神奈川県大和市在住の阿部久美子さん(44歳、2016年当時43歳)は、民間療法を試しながら、病院での検査を受けていた。
民間療法、お金がどんどん出ていった。
しかし、明らかな効果は現れない。
「こんなことをしていて本当に良いのか?」そんな不安が出てきて、その不安が、更なる深みにはまらなかった理由の一つだ。
考えてみると、そもそも無理があった。
引き続き忙しく仕事をしているが、その間に横浜労災病院での検査、一方、民間療法を探して試す。
がんばっているのだが、空回りして、心身ともに疲れていた。
2016年1月12日、MRIの検査結果を聞いた後、生検を受けた。
観念したという感じだった。
医師が右胸に針を刺すと、乾いたパチン、パチンという大きな音がして、患部の細胞を採取。
これまでの人生、がんばってきたのに、なんで私が“がん”になるのかな?
忙しいから、がんなのかな?そんなことすら思ってしまう。
これまでの充実した日常を失いたくなかった。
8日後の1月20日、主治医の診察室に行くとこう言われる。
「残念ながら、やはり、がんでした。ホルモン受容体・陽性、HER2・陰性タイプ(ルミナルA)です。化学療法は必要ありませんが、手術のあと、ホルモン療法を10年間行います」
今後の治療方針について説明を受けた。
その上で、手術の日程の話になった。
しかし、関係がこじれてしまった主治医から執刀を受けることに抵抗感があった。
しかも、まだ家族に手術と今後の治療について話していない。
だから、とりあえず5日後に造影剤を入れるCT画像検査の予約のみを入れて病院をあとにした。
相変わらず、胸にメスを入れるのは恐い。乳房の部分摘出なのか、全摘なのか?再建についてはどうするのか?主治医との関係は上手くいっていない。手術を受けるとしたらどこの病院がいいのか?
今後、いつ、どうやってお客さんになんて説明するのか?何もかもがごちゃごちゃしていて辛かった。
2016年1月28日、転院のための紹介状を4通書いて欲しいと主治医に申し出た。
「阿部さん、手術を受ける気になったんだね。だったら、いいよ。書いてあげる」
主治医にそう言われ、後日、紹介状を受け取った。
そして…、2月19日、聖マリアンナ病院を受診した。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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