乳がんステージ2(ルミナルA) サバイバー 阿部久美子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】阿部久美子さん 乳がんステージ2(ルミナルA) サバイバー
- 第1話「生命保険会社への転職」
- 第2話「乳がん検診と子宮がん検診」
- 第3話「本当に自分のやりたい仕事」
- 第4話「右の乳房の上にしこり」
- 第5話「良性か、悪性かは半々の確率」
- 第6話「メスを入れたくない」
- 第7話「民間療法を試す」
- 第8話「生検」
- 第9話「乳腺悪性腫瘍手術と乳房再建手術」
- 第10話「手術」
- 第11話「ホルモン療法と遊離皮弁術(乳房再建術)」
- 第12話「自宅療養と仕事の開始」
- 第13話「3回の『ゼロからスタート』」
第7話「民間療法を試す」
2015年11月、右胸にパチンコ玉くらいのしこりを見つけ、横浜みなとみらい21にあるクリニックで診てもらい横浜労災病院を紹介された神奈川県大和市在住の阿部久美子さん(44歳、2015年当時42歳)は、美容のことが気になり、胸に針とかメスを入れることに抵抗感を感じる。
阿部さんは、いわゆる、民間療法を試していた。
美容と治療のはざまで気持ちが揺れ動き、なんとか“がん”を身体に負担なく終わらせる術がないかと試していた。
心の支えであるカイロプラクターの友人は「ちゃんと標準治療をやろうよ」と諭(さと)す。
友人の助言と同じタイミングで、心の中は民間療法に対して懸念を抱くようになる。
民間療法…、一時ではなくずっとやり続けるためお金がどんどんなくなる。
はたして根拠のないものが自分の身体にあうのか?疑問に思いだす。
不安が増すからカイロプラクターの友人にLINEとか電話で相談するのだが、すぐに答えてくれるし、よく励まされ、諭された。
本当にありがたいと思った。
年も押し迫った2015年12月31日、大晦日の日。
阿部さんは、夜、実家に車で帰った。
妹には乳がんのことを打ち明けていたが、未だに両親には伝えていない。
特に母親には、1ヵ月前に電話して、知人が“がん”だということになったままだ。
「お母さん、お父さんに、何と言えばいいんだろう…」
困り果て駐車場に停めた車から降りられないでいると、弟と妹が車までやって来て3人で家に入った。
そして、両親に切り出す。
「ちょっと話があるんだけど…、実はわたし乳がんなの。年明けにMRI検査を受けるし、細胞診も受けるかもしれない…」
そのとたん両親は混乱する。
動揺した父親は、自身がかつて患ったつらい大腸がんの話しを始め、家族全員から責められる。
母親は泣きながら、こう言う。
「あの時の電話は久美子のことだったの…。ごめんね、気が付かなくて…。(がんは)私が代わってあげたいよ…」
看護師の母親は泣きながら、きちんと治療していけばいいんだから…、そう言っていた。
そんな両親を前に「もっとお早く伝えればよかった。あの日…」
あのとき、がんの事実を伝えられなかったことを後悔した。
大晦日の夜、阿部さんと母親の涙は止まらなかった。
次のページを読む >> 第8話「生検」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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