乳がんステージ2(ルミナルA) サバイバー 阿部久美子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】阿部久美子さん 乳がんステージ2(ルミナルA) サバイバー
- 第1話「生命保険会社への転職」
- 第2話「乳がん検診と子宮がん検診」
- 第3話「本当に自分のやりたい仕事」
- 第4話「右の乳房の上にしこり」
- 第5話「良性か、悪性かは半々の確率」
- 第6話「メスを入れたくない」
- 第7話「民間療法を試す」
- 第8話「生検」
- 第9話「乳腺悪性腫瘍手術と乳房再建手術」
- 第10話「手術」
- 第11話「ホルモン療法と遊離皮弁術(乳房再建術)」
- 第12話「自宅療養と仕事の開始」
- 第13話「3回の『ゼロからスタート』」
第2話「乳がん検診と子宮がん検診」
2006年に生命保険会社に転職しFP部門でコンサルタントとして活躍していた神奈川県大和市在住の阿部久美子さん(44歳、2006年当時33歳)は、2009年、36歳になったのを機に例年の健康診断に加え、乳がん検診と子宮がん検診を受診した。
仕事柄、お客様向けのセミナーでプレゼンテーションをすることがある。
その中で乳がんについて説明するときもあり、がんに対してはそれなりに知識があった。
2009年・秋、横浜みなとみらい21にある健康診断を専門的に請け負うクリニックを受診。
マンモグラフィー、超音波検査などを受けた。
その結果、クリニックの女性医師からこんなことを言われる。
「画像を観ると乳腺の密度が高いです。まぁ、大丈夫です。今後は経過を診ていきましょう」
“乳腺の密度が高い…”正直、その意味がよく解らなかった。
まさか乳がんのリスクに繋がるとは思いもしないので、特段、気にしなかった。
また、子宮筋腫(4.5cm)も見つかり、それほど大きくないので同様に経過観察となる。
この時の乳がん検診の結果については、同僚や友人、そしてお客さんにも気軽に話した。
不安はないが、何となく心に引っかかったので、次回も受診して“問題なし”を確認していこうと決心。
毎年の健康診断を受診し、2年に1回、検査オプションである乳がん検診と子宮がん検診を継続的に受けだした。
一方の仕事はと言うと、入社当時の不安は充実に代わり、どんどん忙しくなっていた。
営業成績が上がるにつれて後輩の育成も業務の一つとなる。
阿部さんは、お客さんと会うことが週末のときも多く、一般的な月曜日~金曜日の仕事ではない。
お金にまつわる人生のコンサルティングと資料作り、投資信託と生命保険・損害保険の販売、金融の勉強、そして新たな資格の受験とやることは尽きない。
丸1日休める日は1ヵ月に1、2回の時もあり、夜中遅くまで仕事をすることもあった。
でも、そんな充実した生活が好きだった。
会社でトップアドバイザーにまで上り詰め、それを当たり前のように続けていくことの大変さに満たされていた。
そんな忙しい毎日が2006年から7年間続いた。
忙しさゆえ、この頃から美と健康にも気を遣い、サプリメントを摂取し身体の勉強もするようになる。
やがて…、
昼間、まぶしくて太陽の光を見られなくなる。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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