乳がんステージ2(ルミナルA) サバイバー 阿部久美子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】阿部久美子さん 乳がんステージ2(ルミナルA) サバイバー
- 第1話「生命保険会社への転職」
- 第2話「乳がん検診と子宮がん検診」
- 第3話「本当に自分のやりたい仕事」
- 第4話「右の乳房の上にしこり」
- 第5話「良性か、悪性かは半々の確率」
- 第6話「メスを入れたくない」
- 第7話「民間療法を試す」
- 第8話「生検」
- 第9話「乳腺悪性腫瘍手術と乳房再建手術」
- 第10話「手術」
- 第11話「ホルモン療法と遊離皮弁術(乳房再建術)」
- 第12話「自宅療養と仕事の開始」
- 第13話「3回の『ゼロからスタート』」
第12話「自宅療養と仕事の開始」
2016年、乳がん(ホルモン受容体・陽性、HER2・陰性タイプ(ルミナルA))と診断され、4月に聖マリアンナ医科大学病院で手術(乳腺悪性腫瘍手術(乳頭乳輪温存乳房切除術)とエキスパンダーを右胸に入れる組織拡張器による再建手術)を受けた神奈川県大和市在住の阿部久美子さん(44歳)は、ホルモン療法(リュープリン、タモキシフェン)の後、2017年に腹部の脂肪を右胸に移植する遊離皮弁術(乳房再建術)を受けた。
手術直後、ひどい体調不良になり、一時はどうなるかと思ったが、その後、ゆっくりと回復し歩行器をつかって歩けるまでになった。
そして、歩行器が外れた翌日に退院。
それから1ヵ月間は自分のアパートで自宅療養に充てた。
2月中旬から少しずつ仕事を再開した。
体力と筋力を失っていたのでお客さんと会うことは未だできない。
だから、電話とメールで仕事をした。
そんなつらい頃、「応援しているよ」とお客さんから言われ、うれしかった。
週に3日、4日と徐々に働く日数と時間を増やしていく。
ただ体調イマイチの時は、お客さんに正直に伝え、すぐには対応できないことを理解してもらった。
「すみません。まだ自分の身体が追いついてこないので、体調が良くなった時にお会いするのでもいいですか」
お互い、いい時に会いたいねと返されることもあり、ほっとする。
考えてみると自分は、経済的に自立はしていても、心が自立していなかったと感じた。
独立したファイナンシャル・プランナーだからお客さんから良い評価が欲しくて、どんな状況でも頑張って働くのが美学だと思っていた。
しかし今、体調がよくないときに無理なんてしちゃいけないと思えるようになり、自分の心をコントロールできるようになった。
それを心の自立と表現した。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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