乳がんステージ2(ルミナルA) サバイバー 阿部久美子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】阿部久美子さん 乳がんステージ2(ルミナルA) サバイバー
- 第1話「生命保険会社への転職」
- 第2話「乳がん検診と子宮がん検診」
- 第3話「本当に自分のやりたい仕事」
- 第4話「右の乳房の上にしこり」
- 第5話「良性か、悪性かは半々の確率」
- 第6話「メスを入れたくない」
- 第7話「民間療法を試す」
- 第8話「生検」
- 第9話「乳腺悪性腫瘍手術と乳房再建手術」
- 第10話「手術」
- 第11話「ホルモン療法と遊離皮弁術(乳房再建術)」
- 第12話「自宅療養と仕事の開始」
- 第13話「3回の『ゼロからスタート』」
第11話「ホルモン療法と遊離皮弁術(乳房再建術)」
2016年、乳がん(ホルモン受容体・陽性、HER2・陰性タイプ(ルミナルA))と診断され、4月に聖マリアンナ医科大学病院で手術(乳腺悪性腫瘍手術(乳頭乳輪温存乳房切除術)とエキスパンダーを右胸に入れる組織拡張器による再建手術)を受けた神奈川県大和市在住の阿部久美子さん(44歳、2016年当時43歳)は、次にホルモン療法を受けることになった。
2016年5月より開始したホルモン療法は、3ヵ月に1回「リュープリン」注射を受け、「タモキシフェン」を毎日1錠服用するものだった。
今後、結婚し、もしかすると子供を作れるかもしれない、そう思っている阿部さんは、タモキシフェンについては翌年の1月までとし、リュープリン注射は2017年6月までで終了した。
ホルモン療法は名の通り女性ホルモン量をコントロールする治療で、さっそく更年期障害と似た症状が出る。
手足のむくみ、イライラ感、ホットフラッシュ、動悸、息切れ、汗。
そんな毎日を1日、1日と乗り越えていった。
年が明けて2017年1月5日、遊離皮弁術(乳房再建術)の日。
前日に入院し、夕方、医師から説明を聞いた。
腹部の脂肪組織を長方形に切り取り右の胸に移植するものだ。
中に入っているエキスパンダーを取り出し、自家組織を植え付ける大掛かりな手術。
妹にも同席してもらい、なごんだ雰囲気の中、手術日前夜の説明を聞いた。
そしてオペ当日、朝10時過ぎに始まった手術は、なんと夜中の零時を回るまでかかる。
処置室で目が覚めたが悪寒がして、気持ち悪く吐いてしまう。
その後、病室に移ったが体調は最悪だった。
身体が熱を帯びていて暑い。かなりの発熱だったはずだ。
組織を切り取った腹部は焼けるように痛く、喉が息苦しい。
想像していた術後とは大違いで、重い病気にかかったかのように心身辛く苦しい状態だった。
こんなに大変なオペだとは思いもしなかったので、想像と現実のギャップに苦しむ。
身体から汗が吹き出しタオルで拭こうとするが、長時間の手術だったので、身体が動かない。
その都度ナースコールを押し看護師を呼ぶが、このつらく厳しい状況を改善させる術は無く、しまいには看護師と険悪な感じになってしまう。
「乳房再建の手術って、こんなに大変だったの…」
前年4月のオペ以降、順調に回復していた阿部さんは、3回目の人生振出しに戻った感じがした。
何で、なんでこんなことになってしまうの…。
心が振出しに戻ってしまい、乳がんになった自分を責め続けた。
ベッドで泣く日々。
正直、再建手術を受けてよかったとは思えなかった。
手術をやらなければ良かった…。
みたび、どん底から這い上がっていくことになる。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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