精巣腫瘍(ステージ不明) サバイバー 原健悟さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】原健悟さん 精巣腫瘍(ステージ不明) サバイバー
- 第1話「睾丸の腫れ」
- 第2話「泌尿器科へ」
- 第3話「精巣腫瘍と転移」
- 第4話「高位精巣摘除術」
- 第5話「BEP療法」
- 第6話「徐々に始まる副作用」
- 第7話「寛解。治療終了」
- 第8話「みんなが喜び、復職へ」
- 第9話「次の目標に向かって」
第6話「徐々に始まる副作用」
2016年1月、入浴中に右側の睾丸が左の1.5倍くらいに腫れていることに気付き、その後、市立病院を受診した関西在住の原健悟さん(49歳、2016年当時47歳)は、医師から精巣腫瘍(睾丸がん)を告げられ、1月29日に高位精巣摘除術を受けた。手術後、抗がん剤治療(BEP療法)が始まっていた。
原さんが受けたBEP療法は、初日にシスプラチンとエトポシドを入れ、2日目にはブレオマイシンも追加、そして3日目から5日目までは、再び初日と同じ組み合わせを点滴で入れるものだった。
その後、第9日目と16日目にブレオマイシン単体を入れ、ほかの日は回復期に充てる治療スケジュールだ。
点滴で抗がん剤を入れる時に看護師から言われた。
「(抗がん剤の副作用は)つわりのようなしんどさですよ」
しかし、男だから、つわりのしんどさを知らない。
どんなものなんだろうか…、解らずじまいで治療が始まった。
複数の抗がん剤が連日投与された最初の5日間、意外と強い副作用がなくて済んだ。
ただ24時間毎日、点滴でつながれていることがつらく、精神的にしんどい。
とにかくこの5日間は、点滴のストレスに負けまいとがんばる。
時間があれば点滴台を引きながらフロアの中を歩いた。
すると、6日目以降に、強い吐き気と食欲不振が現れた。
髪の毛も抜けてきた。
抜けてもまた生えてくるんだから…、と思っていたが、実際に髪の毛が無くなってくると何ともみじめで、つらい気持ちになる。
原さんは入院病棟が嫌だった。
生活が単調だし、息が詰まるような感じがする。
だから病棟の医師にお願いして、毎週末に外泊許可を出してもらい、自宅に帰った。
家に戻ると、まるで病気のない元の世界に帰ったような気持になり生き返る。
これ以降、週末に外泊できることが、楽しみになっていく。
抗がん剤治療中は定期的に採血して経過を見ていたが、原さんの場合、副作用の骨髄抑制が強く出て、血中の好酸球の値がなかなか元に戻らないこともあった。
2月7日の入院以来、妻は毎日のように見舞いに来てくれた。
洗濯した着替えを持ってきてくれて、話し相手になってくれる。
何より、変に同情とかせずに、いつも通り普通に接してくれた。
それが、とてもありがたくて妻に感謝した。
抗がん剤治療第2クールは、強い倦怠感と吐き気、食欲不振に悩まされる中、たんたんと過ぎていった。
次のページを読む >> 第7話「寛解。治療終了」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
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