卵巣がん(漿液性)ステージ3cサバイバー大塚さんのがんに関するストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大塚美絵子さん 卵巣がん(漿液性)ステージ3cサバイバー
- 第1話「残念ながら、来年は無いかもしれません」
- 第2話「妊婦のように腫れあがったお腹」
- 第3話「卵巣がんに間違いないと思います」
- 第4話「エンディング・ノートで芽生える力強い気持ち」
- 第5話「順調に進む治療と経済支援制度の穴」
- 第6話「手術と抗がん剤治療」
- 第7話「再発への不安」
- 第8話「社会参加のためのビジネス立ち上げへ」
第7話「再発への不安」
2012年7月に卵巣がんと診断され、その後抗がん剤治療を3クール(3ヵ月間)、手術、そして2回目の抗がん剤治療3クール(3ヵ月間)を受けてすべての治療を終えた埼玉県さいたま市在住の大塚美絵子さん(55歳、2012年当時51歳)は、今後のことを悩んでいた。
9ヵ月間に及ぶ治療を終え安堵しているのだが、不安は尽きない。
なぜなら卵巣がん(ステージIII)の場合、2年以内に再発する確率が70%という統計値を見たからだ。
「2年以内に3人に2人が再発する…」
その事実に何とも言えぬ恐ろしさを感じた。
一方、受給資格を得た傷病手当はその年(2013年)の終わりまであり、その後は失業手当が10ヵ月間出る見込みだった。
お金が途切れるまでは、まだ十分に時間がある。
だったら2年間不安を感じながら委縮した様な生活を送るよりは、思いっきり人生を楽しもうと思い出した。
「ここからが私の人生。やりたいことは我慢しないぞ」と開き直ったと言う。
4月に治療を終えると、四国の金毘羅(こんぴら)歌舞伎の鑑賞の旅行に出かけ、
8月にはオーストリアとドイツを3週間かけて巡る旅行にも行った。
医師は遠方に旅行することを心配し万が一の時のために薬を処方したが、あえて反対はせず大塚さんを快く送り出してくれた。大学でドイツ語を専攻していた大塚さんには楽しく仕方がない時間だった。
抗がん剤の副作用で手足にしびれが残っている。体力だって、まだまだ回復途上だ。
それでも積極的に外を出歩くことで自らの社会復帰を進めていった。
「楽しんじゃえ!」というキャッチフレーズで送った2年間。
しかし一方、自分の存在価値を自問し苦しみを感じ出す。
「(がんから)生き延びたけれど、これからどうしよう…」
今のままでは経済的にやっていけない。
しかし自分がやりたいこと(仕事)が見つからない。
まるで「放り出された」感じがして、どうしたら良いのか解らなくなっていた。
次のページを読む >> 第8話「社会参加のためのビジネス立ち上げへ」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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