【ストーリー】大塚美絵子さん 卵巣がん(漿液性)ステージ3cサバイバー

    卵巣がん(漿液性)ステージ3cサバイバー大塚さんのがんに関するストーリーです。

    このストーリーの目次

    1. 【ストーリー】大塚美絵子さん 卵巣がん(漿液性)ステージ3cサバイバー
    2. 第1話「残念ながら、来年は無いかもしれません」
    3. 第2話「妊婦のように腫れあがったお腹」
    4. 第3話「卵巣がんに間違いないと思います」
    5. 第4話「エンディング・ノートで芽生える力強い気持ち」
    6. 第5話「順調に進む治療と経済支援制度の穴」
    7. 第6話「手術と抗がん剤治療」
    8. 第7話「再発への不安」
    9. 第8話「社会参加のためのビジネス立ち上げへ」

    第6話「手術と抗がん剤治療」

    卵巣がんの治療として、まず抗がん剤の投与を受けた埼玉県さいたま市在住の大塚美絵子さん(55歳、2012年当時51歳)は、その治療効果を感じていた。治療を開始したら腫れあがっていたお腹は普通の状態に戻り、腫瘍の大きさも半分になっていた。

    抗がん剤治療3クールの終わりころに担当の医師からこう言われる。

    「抗がん剤はこれまでとして手術に移りましょう。今月一旦退院して自宅でリフレッシュして体力をつけてください。手術は再来月の11月13日の予定です」

    薬の副作用で体力を失っていた大塚さんは自宅に戻り、徐々に元気になり出した。
    それから1ヵ月半は友達と会い食事をしたり、買い物に出かけたりした。
    しかし一人でいる時、無性に心が沈むときがあった。

    「私は何のために生きているのか?がん治療のために生きているなんて嫌だ。治療が終わっても、その後どうしたらいいのかわからない…」

    がんという病が終わってからの自分の人生のビジョンが描けず苦しんでいた。

    そして2012年11月13日。
    手術は無事に終わり1ヵ月ほどで退院する。
    女性特有の臓器を切除する手術だったが、病巣を取り除けたことで安心する気持ちの方が大きかった。

    ただショックなことも伝えられた。
    年が明けたら予防的治療として抗がん剤(パクリタキセル+カルボプラチン)治療を3クール(3ヵ月間)行うというのだ。

    抗がん剤の効果は実感していたが、ようやく手術が終わり一区切りつけたにもかかわらず再び治療が始まることにうんざりした。

    しかし気を取り直して2回目の抗がん剤治療を受ける。なぜなら、父が治療していた頃は時代の背景もあり手術後の抗がん剤治療が無かったため、父を含め再発した人たちがいたことを知っていたからだ。

    2013年3月。激しい3クール全ての抗がん剤治療をやり遂げた彼女には形容しがたい安ど感と解放感の両方があった。

    お腹まわりが太り出し、更年期の始まりと誤解したのがちょうど1年前。
    大塚さんにとっては試練ともいえる大変な1年だったが、それを乗り越えた時だった。

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    この記事の著者

    (5yearsプロフィール)

    日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
    2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
    現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
    >>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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