【ストーリー】大塚美絵子さん 卵巣がん(漿液性)ステージ3cサバイバー

卵巣がん(漿液性)ステージ3cサバイバー大塚さんのがんに関するストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】大塚美絵子さん 卵巣がん(漿液性)ステージ3cサバイバー
  2. 第1話「残念ながら、来年は無いかもしれません」
  3. 第2話「妊婦のように腫れあがったお腹」
  4. 第3話「卵巣がんに間違いないと思います」
  5. 第4話「エンディング・ノートで芽生える力強い気持ち」
  6. 第5話「順調に進む治療と経済支援制度の穴」
  7. 第6話「手術と抗がん剤治療」
  8. 第7話「再発への不安」
  9. 第8話「社会参加のためのビジネス立ち上げへ」

第4話「エンディング・ノートで芽生える力強い気持ち」

3つ目の病院で卵巣がんの確定診断がおり外科手術の前に抗がん剤治療を受ける予定だった埼玉県さいたま市在住の大塚美絵子さん(55歳、2012年当時51歳)は、事前に行われた点滴治療の副作用のために抗がん剤治療の開始が見送られていた。

患者にとって治療が行われないことほどつらいものはない。
刻一刻とがんが進行しているのに指をくわえて見ているようなものだ。

治療ができないという事実の重さに気力を失いだす。大塚さんは好転しない状況に自分の死の予兆を感じ始めていた。
「これからどうなるのだろう…、いま自分にできる事は何かないだろうか?」

その時、父親のがん闘病と彼の最期のことを思い出した。父の死に方に心に引っかかるものがあったからだ。
「父は、あれほど献身的に看護した母に“ありがとう”の一言もなく逝ってしまった。だから私は自分を支えてくれた人たちに感謝の気持ちを伝えたい」

そんな思いからエンディング・ノート(残される人たちに自分の思いを書き留めた文章・手紙)を綴り始めた。
涙を浮かべながら一人一人にメッセージを書き上げてゆく。
家族、友人、恩師、会社の人たち、医師…

メッセージに宛てた人たちは40人を超えた。
自分なりの「死の美学」だった。

書き進めていくうちに不思議な思いが心の中に芽生え始める。
「私はなんて大勢の人たちに支えられて生きているんだろうか。こんなにも多くの人たちに支えられているのなら大丈夫。私はこんなんじゃ死ねないし、死なない」

ものすごく力強い気持ちが内から起こり始めた。
自分でも不思議だった。

ヘパリン(抗凝固剤)をやめて肝機能を回復させる治療に移って3日目、血液データが改善した。
そしてついに7月24日からの抗がん剤治療(パクリタキセル+カルボプラチン)の開始が決まる。
始まった全身化学療法。
抗がん剤の効果は劇的だった。
8月の中旬には腹水が出なくなり、腫れていたお腹は普通の状態まで戻っていた。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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