卵巣がん(漿液性)ステージ3cサバイバー大塚さんのがんに関するストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大塚美絵子さん 卵巣がん(漿液性)ステージ3cサバイバー
- 第1話「残念ながら、来年は無いかもしれません」
- 第2話「妊婦のように腫れあがったお腹」
- 第3話「卵巣がんに間違いないと思います」
- 第4話「エンディング・ノートで芽生える力強い気持ち」
- 第5話「順調に進む治療と経済支援制度の穴」
- 第6話「手術と抗がん剤治療」
- 第7話「再発への不安」
- 第8話「社会参加のためのビジネス立ち上げへ」
第3話「卵巣がんに間違いないと思います」
2012年春からお腹まわりが大きくなりだした埼玉県さいたま市在住の大塚美絵子さん(55歳、2012年当時51歳)は、4ヵ月後にお腹がパンパンに腫れあがり一人で歩くことが出来ないまでになっていた。
7月9日、予定通り検査結果を聞くために再び病院を訪れた。
待合室に妹と二人でいると自分の名前が呼ばれ診察室に入った。
いつも温和な表情の内科医が神妙な面持ちで切り出す。
大塚さんはこのとき意外なほど冷静だった。
この10日間で急速にお腹が膨れ上がり状況は悪い方へ悪い方へと移っていた。
かつて父親の胃がんをみた経験のある彼女が「がん」という言葉を自分の今の状態に当てはめていたのは自然なことだった。だが、内科医からは「がん」という具体的な言葉はなく説明された。
内科医は腫れあがったお腹に目をやり、今後は婦人科での治療になるがこの病院には婦人科がないと言う。
転院先の相談になり、国際医療福祉大学三田病院を紹介された。
これで3つ目の病院になる。
東大病院での検査データをCDに落とし込んでもらい早速三田病院に行く。
運命的な出会いとなる三田病院で二人目の担当医師は診察室で自己紹介をするや否や、こう言う。
「これは卵巣がんに間違いないと思います。ただ腫瘍(=がん)が大きすぎるので直ぐには手術が行えません。だから、まず抗がん剤治療から始めて腫瘍が小さくなったら手術して取りましょう」
わかりやすい説明で卵巣がんを治療するためのプロジェクトが始まったようだった。
しかし一方、まるで自分の事ではなく、他の患者の治療計画の打ち合わせに同席しているかのように医師の説明を聞いていた。
だから、特別悲しくもつらくもなかった。
ただし卵巣がんで腹水が出ている時は血管の中に血栓ができやすくなるという。だから、まず「ヘパリン」(抗凝固剤)と言う薬を点滴で落とし、血管内凝固のリスクを下げる処置が行われた。
点滴を開始して5日後、血液データを見てみると肝機能のマーカーが高い異常値を示した。
医師たちに動揺が走り、それまでの自信に満ちていた先生たちの表情が曇る。
これでは、予定通りに抗がん剤治療を行えない。
この瞬間、治療スケジュールは一旦見送りになる。
「がんが進行しているのに私は何も治療を受けられない」
あまりにものショックで脱力感を感じ、ベッドの中に埋もれるように横たわった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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