卵巣がん(漿液性)ステージ3cサバイバー大塚さんのがんに関するストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大塚美絵子さん 卵巣がん(漿液性)ステージ3cサバイバー
- 第1話「残念ながら、来年は無いかもしれません」
- 第2話「妊婦のように腫れあがったお腹」
- 第3話「卵巣がんに間違いないと思います」
- 第4話「エンディング・ノートで芽生える力強い気持ち」
- 第5話「順調に進む治療と経済支援制度の穴」
- 第6話「手術と抗がん剤治療」
- 第7話「再発への不安」
- 第8話「社会参加のためのビジネス立ち上げへ」
第2話「妊婦のように腫れあがったお腹」
2012年春からお腹まわりが大きくなり出した埼玉県さいたま市在住の大塚美絵子さん(55歳、2012年当時51歳)は、同年6月には妊婦のようにお腹が腫れあがり実家近くのクリニックで診察を受けた。クリニックの医師は腫れ具合に驚きすぐに大きな病院で診てもらうように促した。
1945年8月、大塚さんの父親は旧制中学の学生のとき広島で原爆投下により被ばくした。
その後、胃がんが発症し1985年大塚さんが24歳の時に56歳で他界した。
幼少のころから放射線被ばく障害の話を聞かされていたので、
「私もいつか、がんになるのかもしれない」と心のどこかで感じていた。
クリニックから実家に戻ると大急ぎで東京港区にある東京大学医科学研究所付属病院に連絡する。
ここは2年前に蕁麻疹(ジンマシン)が発症したとき診てもらい、その後は大塚さんのかかりつけ病院のようになっていた。だからその内科医に診察してほしかったのだ。
そして運よく3日後の7月2日の予約が取れた。
久しぶりに会った内科医は大塚さんのお腹を見るなり表情が一変する。
「この先生も私のお腹を見たとたんに急に怖い顔になった…」
ことの重大さがわかり始めた。
それからいろんな検査が行われた。
血液検査、尿検査、MRI検査、CT検査。
中でも血液検査は、検査項目が多いため結構な量を採血された。
1週間後の7月9日に検査結果が知らされることになり一旦帰宅する。
しかし体調は日に日に悪くなり、ついにお腹がパンパンに膨れ上がり歩くのもやっとの状態になってきた。
身体は常にだるい。
ちょっとした坂道を歩いてもまるで急こう配の山道を登っているかのように息が切れる。
心配する実家の母親から頻繁に連絡が来る。
自分の事で精一杯なのに、心配性でせっかちな母のことまで気にかけなくてはならない。
検査結果の報告を受けるまでの日々は、心身共にいっぱい、いっぱいだった。
次のページを読む >> 第3話「卵巣がんに間違いないと思います」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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