悪性リンパ腫 ステージ1A サバイバー 小林円香さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】小林円香さん 悪性リンパ腫 ステージ1サバイバー
- 第1話「左眼の充血と目やに」
- 第2話「左眼の下の頬あたりにしびれ」
- 第3話「腫瘍の可能性」
- 第4話「生検の手術」
- 第5話「悪性リンパ腫の可能性」
- 第6話「B細胞性リンパ腫の診断」
- 第7話「卵巣の凍結保存」
- 第8話「入院準備」
- 第9話「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」
- 第10話「封じ込めていた不安」
- 第11話「見えない未来ときつい副作用」
- 第12話「過呼吸症候群で苦しんだ毎日」
- 第13話「寛解・復職」
- 第14話「幸せな日常を取り戻して」
第12話「過呼吸症候群で苦しんだ毎日」
2014年悪性リンパ腫(びまん性大細胞型B細胞リンパ腫)と診断され、11月から抗がん剤治療(R-CHOP療法)を受けた東京都在住の小林円香(まどか)さん(28歳、2015年当時26歳)は、翌2015年3月に6クールすべての治療を終えた。しかし、再発への恐れから精神的に参ってしまった。
「がんがまだ治っていないんじゃないか…」と思う小林さん。
治療は終了したという担当医。
ますます不安になっていく。
担当医の所見では鼻の奥の違和感は、がんの死骸がそこにあるために「鼻涙管閉塞(びるいかんへいそく)」となっているとのことだった。
しかし不安でたまらない小林さんは過呼吸症候群で毎日苦しむ。
人と会いたくない。
だれとも関わりたくない。
メールアドレスを変更し、LINEをやめて、人を遠ざけ始めた。
「いまの自分は、がんになる前の明るく活発な自分じゃない」
不安から何もかもが嫌になり家にいるのが苦痛で仕方が無くなってきた。
3月28日、精神的に追い詰められ苦しくて仕方がなくなる。
医師と相談して精神科の病棟に入院した。
入院すると自殺を防ぐためにペンとかハサミとか自殺に使えそうな類のものをすべて取り上げられた。
自分が共感できる人がどこにもいないことが孤独感を増長させた。
もうブログも更新しない。
医師の診断では「病気による適応障害」、敢えて病名をつけるとしたらそうなると言われた。
病棟での生活は閉鎖的でつらく、一方屋外に出ると過呼吸症候群が重くなりなかなか外に出られない。
そんな小林さんを気遣い友人たちが見舞いに来てくれた。
一時は人と会いたくないなんて思ったが、周囲の人たちが支えてくれる。
中学・高校からの友達、同じ趣味のサークル仲間、さらに父親、母親と毎日のように誰かしらが病室に顔をだしてくれる。
単調で辛いはずの入院がそうでなくなっていく。
自分は多くの人に支えられて生きている。
感謝してもしきれなかった。
(友人たちがプレゼントしれた寄せ書きとお守り)
そして4月14日、悪性リンパ腫の経過観察として受けたPET検査の結果が報告された。
「問題なし。完解」
これによりパァーっと先行きが広がった感じで嬉しかった。
まだ、鼻の奥に違和感はあるものの、たぶん「鼻涙管の関係なんだろう」と自分でも納得し始める。
そして精神科の病棟を退院。
小林さんの治療がすべて終わった日だった。
5月13日、職場の保育園に顔をだすと園長先生が泣きながら抱き着いてきてくれた。
「(私は)生きてここに戻れると信じていたけれど、本当に生きて戻れたんだ」そんな想いだった。
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大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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