悪性リンパ腫 ステージ1A サバイバー 小林円香さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】小林円香さん 悪性リンパ腫 ステージ1サバイバー
- 第1話「左眼の充血と目やに」
- 第2話「左眼の下の頬あたりにしびれ」
- 第3話「腫瘍の可能性」
- 第4話「生検の手術」
- 第5話「悪性リンパ腫の可能性」
- 第6話「B細胞性リンパ腫の診断」
- 第7話「卵巣の凍結保存」
- 第8話「入院準備」
- 第9話「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」
- 第10話「封じ込めていた不安」
- 第11話「見えない未来ときつい副作用」
- 第12話「過呼吸症候群で苦しんだ毎日」
- 第13話「寛解・復職」
- 第14話「幸せな日常を取り戻して」
第9話「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」
2014年7月に左眼の充血と目やにから始まった体調の異変は、その後顔面のしびれ、鼻血となり、ついに悪性リンパ腫と診断された東京都在住の小林円香(まどか)さん(28歳、2014年当時25歳)は、抗がん剤治療の前に卵巣を凍結保存するための手術を受けた。
この年(2014年)10月から11月にかけてはとても忙しかった。
卵巣の摘出手術を受けた小林さんは翌日退院し、さらに2日後の10月30日に都内の大学病院に入院し抗がん剤治療の準備に入る。
10月31日、骨髄内の血液を採取するマルク検査、11月5日は脳脊椎液の検査。
その結果、脳にも脊椎にもがんが存在しないとわかり安心する。
やがて組織の病理検査を委託していたがん研有明病院から検査結果が届く。
「悪性リンパ腫、びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」
病理レベルでの所見が得られた。
この頃の小林さんは毎日イライラしていた。
検査ばかりで治療が一向に始まらないからだ。
スマホとインターネットで観る病院の外の世界はハロウィーンの時期も重なり楽しそうだった。
それにひきかえ対照的な今の自分。
入院病棟でのじれったい日々を我慢していた。
11月11日、ついに抗がん剤(R-CHOP療法)が開始。
初日に4種類の薬を点滴で全身に入れた。
リツキサン、エンドキサン、アドリアシン、オンコビン。
酔った感じの吐き気がすぐに始まった。
しゃっくりがよく出る。
顔に湿疹らしき出来物も出る。
そして、合成副腎皮質ホルモン剤(プレドニン)の錠剤を20錠、毎朝5日間服用。
また残した右の卵巣の抗がん剤によるダメージの対策としてリュープリンを注射し生理を止める。
ついに始まったかという恐怖感とようやく治療が始まったという安心感。
副作用はつらいが待たされた分、期待度は大きかった。
小林さんは入院する前に闘病ブログを始めた。
タイトルは『闘病少女まどか☆マギカ~駆逐!悪性リンパ腫✩~』
文章を書くことで精神的に安定したし、出来るだけ多くのことを記録として残したかった。
「(いまの自分は)学生時代の友人たちが住む世界とは違う世界にいる。だからブログを通じて同じ病気の人たちと繋がるのが嬉しい。
この人たちなら私の気持ちを解ってもらえる」そんな想いだった。
R-CHOP療法の副作用で血液中の白血球数は低下。
感染症を避けるために外出が許されない病棟での生活が続いていた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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